知らされていた時間より遅れて、ゾロは店に来た。
いつものようにナミはゾロを部屋に通し、酒を注ぐ。
ただ今日は、お互いに無言だった。
ゾロは盃を一気にあけ、小さく溜息をつく。
塞ぎこんだようなゾロの顔を見て、ナミはポツリと口を開いた。
「・・・ゾロ、・・・・私を抱きたい・・・?」
「・・・ナミ?」
突然の言葉に、ゾロは驚いてナミの顔を見つめた。
ぼんやりとした行灯の明かりに照らされたナミの顔は、ひどく妖艶だった。
「抱いていいんだよ」
「・・・・・・・」
ゾロはゆっくりとナミの肩を引き寄せ、抱きしめた。
ナミも目を閉じて、その胸に身を委ねる。
ようやく触れた、ゾロの体。
何て暖かくて、何て広い。
しかしゾロはナミを抱きしめたままで、一向にその後の動きを見せなかった。
「・・・・・ゾロ?」
「何だ」
「抱かないの」
「抱いてるさ」
不思議そうに尋ねたナミに、ゾロはあっさりと答えた。
「・・・・意味が、違うよ」
「同じだよ」
「・・・・・・」
小さくそう言って、ゾロはさらにナミを強く抱く。
「おれの腕の中にお前がいる」
「・・・・・」
「同じだ」
「・・・・・ゾロ・・・・」
ナミはゾロの背中に手を回し、遠慮がちにその布を握り締める。
ぎゅっと唇を噛んで、溢れそうになる何かを耐えた。
自分の腕の中で微かに震える女の体を、ゾロはただじっと抱きしめていた。
ずっと、触れたいと思っていた。
でもナミの体はあまりに細く、その肩を抱いただけで壊れてしまう気がしていた。
今ようやく触れたその体は、やはり細くて小さくて。
壊したくない、壊してはいけない。
そう思いながら、ゾロはそれでも抑えられず強くナミを抱きしめる。
離したくはなかった。
だが、そのためにどうすればいいのか分からなかった。
父親と違う選択をすることが、自分にできるだろうか。
できたとして、その先を自分はどこまで予測できるのか。
人に言われなくても、自分がまだ世間を知らぬガキだということは自覚している。
所詮は『金持ちの坊ちゃん』なのだ。
父とは違う、そう思い込みたいだけなのかもしれない。
それでも、ナミと離れるつもりはない。
これほどまで欲する相手を、忘れることなどできはしない。
先の事など、今はどうでもいい。
ただここにナミがいれば、それでいい。
「・・・ナミ、おれはお前が・・・・」
「だめ」
「・・・ナミ?」
「・・・それ以上、言っては駄目」
ナミはゆっくりとゾロの背中から手を離し、
その胸から逃れた。
「あなたは、私を知らない。私の穢れを知らない」
「そんなものは」
「もうここには来ないで」
「・・・・ナミ・・・・?」
俯いて、顔を見せないようにしながら、ナミは言葉を続けた。
目を見ては、話せなかった。
「もう二度と、ここには来ないで」
「ナミ・・・?」
「・・・・・あの子が、泣いてるわ」
「・・・・・あの子・・?」
「・・青い、髪の人」
ナミがポツリと言うと、ゾロは目を見開き、そして眉間に皺を寄せる。
「・・・ここに・・来たのか?」
「・・・・あなたには、あなたにふさわしい相手がいる。 だから、これでお終い」
ナミは顔をあげ、ぎこちない笑顔を見せた。
「ナミ」
「さよなら」
ゾロを残し、ナミは立ち上がり部屋から出て行った。
二階番にゾロが帰ることを告げてから、見送ることもなく格子へ向かった。
ただの女でありたかった。
あの人の前では、一人のただの女で。
決して叶うことのない、その夢。
そして、あの少女にはそれは、願うまでもない当然のこと。
「ナミ!」
「・・・・・ロビン」
廊下を足早に過ぎるナミを、自分の部屋へ行こうとしていたロビンは後ろから呼び止めた。
夕刻に現れた少女が何なのか、ロビンも勘付いていた。
そして、今、
ゾロがいるはずの部屋から一人で出てきたナミの表情を見て、ロビンは悟った。
「・・・・・馬鹿ね」
「・・・・・」
「許婚なんて気にせずに、続けたって構わないじゃない・・・」
「・・・・・」
ここにやってきたときから、姉のように、母のようにナミを見守ってきたのは、
ノジコと、そしてロビンだった。
「お願いだから・・・ナミ、一人で泣かないで・・・・」
こんな感情を出すようになったのに。
こんな感情をようやく取り戻したのに。
この子は忘れようとしている。
何て真面目な、何て一途な子だろうと、
ロビンはただ、声も出さずに泣くナミを抱きしめてやることしかできなかった。
その2人の傍に、遣手がこっそりと近づいてきた。
「・・・この子はもう今日は休ませるわ」
「いえ、客じゃあなくて・・・」
「では何の用」
ロビンが睨むように促すと、遣手は勿体ぶるように重い口を開いた。
ナミはロビンの胸に顔を埋めたままだった。
「ナミ・・・・あんたの叔母さん、夫婦で首吊ったそうだよ」
ナミはゆっくりと顔を上げ、目を見開いて遣手を見つめた。
2006/01/08 UP
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