「ゾロ!!」
「ナミ」
ナミは森の中で、一人の男と逢っている。
男は、数年前に出会った獣だった。
傷ついた獣を見つけてから、ナミは薬や食料を持って森に入りその手当てをしていた。
数日後、驚異的な回復を見せたその獣は、ある日人の姿でナミの前に現れた。
森がそのまま溶け込んだかのような新緑の色の髪と瞳。
すらりと伸びた長身に真っ白な着物を纏っていた。
男はゆっくりとナミを振り返った。
死装束のようなその姿に、最初ナミは死人かと目をこすった。
だがすぐに気付いた。
着崩れた胸元から、袈裟懸けの大きな傷。
そしてその着物の隙間からちらりと見える、萌黄色の布。
あの獣の腹に当ててやった、ナミの着物の一部。
男の腹にそれが巻かれているのが覗いている。
獣は、妖怪だったのだ。
ゾロと名乗ったその妖怪は、人語でナミに礼を言った。
ナミは巫女であるが故、妖怪という存在に慣れていた。
だがゾロのように、優しい目をした妖怪は初めてだった。
それ以来、ナミは人の姿をしたゾロと森の中で逢うようになった。
ナミにとってゾロは、初めて出来た友達だった。
口数が多くは無いが、ナミの話をちゃんと聞いてくれる。
ナミは村人の前では言えない相談や愚痴を、ゾロの前では全てさらけ出していた。
「ねぇゾロ、村に下りない?」
「・・・いや、それはやめとく」
「きっとみんな歓迎してくれるわ」
大きな岩の上で、ゾロとナミは隣合って座る。
握ってきたおにぎりを食べながら、ナミはゾロに言った。
「今年の豊作も、ゾロが何かしてくれたんでしょ?
私がゾロに相談してから、ここの村だけ急に豊かに・・・」
「それはお前たちが真面目に働いたからだ、おれはちょっと手伝っただけだよ」
「一緒に村で暮らそうよ」
「おれは人間じゃないから」
「知ってるけど、でも私もっとゾロといたい」
ナミはゾロの袖を掴んで、顔を覗き込む。
ゾロは優しく微笑むだけだった。
「・・・人間が、嫌い?」
「何故」
「だって・・・」
しゅんと寂しげなナミの頭を撫でて、ゾロはまた笑った。
「好きだよ」
「ほんとに?」
「あぁ」
ゾロは空を見上げて、どこか懐かしそうな顔をする。
「人は脆くて弱い。おれたちよりも簡単に、早く死ぬ。それでも・・・美しいだろう?」
ゾロはナミを見下ろして、伺うように首をかしげる。
少し考えて、ナミは笑ってこくりと頷いた。
「その手で舞いを踊り、その声で歌を唄い、その言葉で万物を表現する。
他者を敬い共に暮らし、ひたすらに愛す。
おれたちとは違う小さく脆いその体の中に、おれたちよりも遥かに豊かなものを持っている」
ゾロはそっと手を伸ばし、ナミの頬に触れた。
「それを守りたいと、思うよ」
ナミは嬉しそうに笑って、ゾロに摺り寄った。
初めて会ってから何年が経っただろうか、
ゾロと過ごす時間は、今のナミにとって最も大切な時間になっていた。
村にいる間は、巫女としての務めを果たさなければならない。
まわりの人間も、ナミを巫女としてしか扱わない。
村の人を嫌いなわけではなかった。
自分を大切にしてくれるし、優しい。
だが、ナミは知ってほしいのだ。
自分は巫女であると同時に、普通の人間なのだと。
年頃の娘のように花を飾ったり、
友人たちと他愛もないお喋りをしたり、
誰かを好きになったり。
ゾロの前では、ナミは普通の一人の人間として、女としていられた。
だがこの逢瀬を村の長たちに知られれば、もう森に入ることは禁じられるだろう。
妖怪であるゾロ、巫女である自分。
そんな互いの立場を無視してでも、ナミはゾロに逢いたかった。
日が落ちる前に、ナミは村に帰る。
毎日逢っているというのに、別れのときはいつもナミは名残惜しげに何度も振り返り、
ゾロが笑いかけてようやく村への道を走っていく。
ゾロは一日を森の中で過ごしていた。
ナミと過ごす時間は人の姿でいるが、こうして一人になると獣に戻る。
この数年ですっかりこの森はゾロの住処になっていた。
大きな岩の上で体を丸め、ゾロは目を閉じる。
サワサワと風が流れ、枝を揺らし葉が子守唄を奏でる。
ゾロは軽く笑って、喉を鳴らして体の力を抜いていく。
この森は、ゾロにとって心地良いものだった。
数年前に傷ついた体で入り込んできた自分を優しく受け入れてくれ、傷を癒す力もくれた。
何より、ナミがいる。
巫女に対してこんな感情を抱くのは妖怪としてどうかと思うが、
それでも愛しいものは愛しい。
獣の姿に驚くこともせず、妖怪だと知っても臆することは無かった。
その強さと、優しさと、純粋さ。
人間という生き物への好意以上に、ナミという個人へそういった類の感情を抱くまで、
さほど時間はかからなかった。
自分が村へおりることはできないが、この先もこんな風に過ごせれば、と
ゾロがうとうとと考えていると、突然に全身の毛がビリビリと逆立った。
ゾロは素早く起き上がり、体を低くして周りの気配をうかがう。
日が落ちてあたりはすっかり暗くなっている。
「・・・よぉ、ゾロ」
木々の暗闇の向こうから、ガサリと近づく気配があった。
ゾロは目を見開き、その影を凝視した。
「・・・ジャブラ?」
「久しぶりだな」
大きな黒い狼が、のそりと姿を現した。
獣姿のゾロよりは二回りほど小さいが、それでも巨大だった。
ジャブラと呼ばれたその獣は、ニヤニヤと笑いながらゾロに近づいていく。
「お前、どうしてここに?」
「旧友に酷ぇ言い草だな。
怪我したお前を心配して追いかけて、ようやく見つけてやったんだぜ?」
「動けなくなったところを食うつもりで、の間違いだろ? 生憎と傷はとっくに塞がってるぜ」
「へぇ」
ゾロはふいっと顔を背けて、ジャブラを無視するようにまた寝転んで体を丸めた。
ジャブラは、ゾロが前に住んでいた森に居た妖怪だった。
血の気が多く、人間を恨んでいる。
機会さえあれば人間を襲おうとするため、以前にゾロは力ずくでジャブラを諌めた。
それが気に食わなかったのか、以来ゾロを恨みその喉笛を食いちぎろうと狙っているのだ。
ゾロの力ならば、ジャブラを返り討ちにすることなど造作もないのだが、そうはしなかった。
ジャブラが何故人間をそうも恨むのかを知っているからだ。
同情、というわけではないが、殺してしまうほど悪いヤツでもないのだ。
「あの女を随分気に入ってるみてぇだな?」
「・・・・・・お前、いつからいた?」
「人間なんかと一緒にいるから腑抜けちまったか? 二日は前から見てたぜ」
「・・・・・・」
ゾロは心中で舌打ちした。
腑抜けている自覚はないが、油断していたことは否定できない。
この森での生活、ナミとの生活が平穏すぎたのだ。
「人間の女なんざ、やめとけよ」
「・・・・・・」
「あの娘、子を孕んでるな」
「・・・・・・だったらどうした」
「妖怪と巫女の子か・・・まだ食ったことねぇな」
「あいつに妙な真似したら、殺す」
「へ・・・、大層お気に入りだな」
ヘラヘラ笑っていたジャブラに、ゾロの殺気が届く。
空気が振るえ、ジャブラの周りの木から葉がパラパラと落ちる。
ジャブラは一瞬体を固まらせ、だが再び口元を歪めて笑った。
「・・・あの女だって、お前の正体知ったらビビって逃げるに決まってる」
「あいつは、知ってる」
「・・・へぇ・・・?」
ピクリと眉を動かして、ジャブラはゾロを見た。
「なぁジャブラ、お前が人間を恨むのは分かるが・・・そういうヤツらばかりじゃないんだぜ」
「・・・妖怪だと分かった瞬間から化け物呼ばわりする・・・人間なんてどれも同じさ」
「違う」
ゾロは立ち上がりそう言うが、ジャブラはゾロに背を向けて歩き出していた。
「そろそろここにも届くんじゃねぇか?」
「・・・何が」
「お前のおかげで豊かになった村の、叫び声さ」
振り返ったジャブラは、牙を剥き出してそう言った。
次の瞬間、ゾロは毛を逆立てて岩から飛び降り、ジャブラに飛びかかった。
あっという間に腹を見せて組み伏せられ、ジャブラは小さく呻く。
ジャブラを見下ろしながら、その顔面で大きな牙を剥きゾロは低く唸る。
「あの村に何をした・・・・!!」
「お前はまだ人間の味方をするのか?」
「・・・・・・」
「あれほどこっぴどく裏切られたくせに、懲りねぇ野郎だな」
「・・・過ぎた事だ」
「てめぇのその甘さが、おれは大嫌いなんだよ・・・!!」
そう叫んでジャブラは大きな口を開け、ゾロを払いのけて襲い掛かる。
だがゾロは身を翻してそれをかわし、音も無く両足で着地する。
そのまま地面を蹴り再びジャブラにのしかかり、その首元に牙を突きつける。
「てめぇの子分、呼び戻せ・・・!!!」
「殺せよ」
ゾロはジャブラの首に噛み付いたまま叫んだ。
もう少し顎に力を加えれば、ジャブラの首の骨は折れるだろう。
だがゾロはそうはせず、低く唸りながら言うだけだった。
ジャブラは観念したように目を閉じて小さく呟くが、ゾロは再び繰り返す。
「呼び戻せ・・・」
ジャブラは目を開き、射殺すようなゾロの視線を受けとめた。
「その甘さが・・・嫌いだっつったろ・・・」
吐き捨てるようにそう言って、ジャブラは高く長く、遠吠えを上げた。
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