「なあナミ、ゾロ知らないか?」

朝から始めた蜜柑の手入れだったが意外に手間取り、そろそろサンジがハートを飛ばしながらお茶を告げる頃合いになっていた。

そんな時分に、倉庫から出て来たチョッパーが蜜柑畑にいたナミを見上げて問う。
狭い船なので一通り探せば見つかるだろうが、船医としてやるべきことを優先している時はその手間さえ惜しいようだ。

「多分今は見張りの時間だから上にいる筈だけど・・・でも、おそらく居眠りしてると思うわよ?」
「あ、そうだっけ。うん、ありがとな、ナミ!」
「というか、どうして私に聞くのよ。見張り台周辺のことだったら、甲板で怪しい工房広げてるウソップの方が近かったでしょ?」
「それはそうなんだけど、ナミの方がゾロの動向に詳しいだろ。じゃ、ありがとなー!」

一瞬間を置いて、ナミの頬に朱が上る。

チョッパーの何気ない一言は、意外に変な重みも伴ってナミの心に響いた。





Liqueur






秋島の海域に入ったのか、船の針路自体の航海はそれなりに順調だった。
心地好い風に吹かれ、メリーの帆はそれらを全身に浴びて光り輝くようにかれらのすべてを未来に向かって運んでくれている。


だが――そんな爽快さを台なしにするかのように、このところ他の海賊団と出喰わすことが多かった。


この広いグランドラインの海域で、しかもログポースという指針をなくしたが最後、到底次の島にも辿り着くさえできないというのに。
なのにここ最近頻繁に他の海賊団と出会うのは、幸せなのか不幸なのか良く判らない。

そんな偶然はいらないと誰もが苦笑するが、あれこれ実入りの少ない海賊としては願ったり叶ったりと思うべきか。

「そうよ、この広大なグランドラインを航海してて、こんなにも貧乏で可哀相な海賊団って他にはいないと思うの。利用できるものはさせてもらわないと、もったいないって神様のバチが当たるってものよ」

豪快に言い切るナミの言葉に、何気に視線を合わせるのは良識の強い狙撃手と船医だ。

「普段からあいつ、『神様なんてナンボのもんよ』って言い回ってるくらいだしよ。相変わらず言ってることとやってることはまったく違うよな」
「下手に神様って存在がいるの知ってるから、何かありがたみも何もないしなぁ」

ふたりの溜息は重い。
それぞれに個性豊かなクルーだけに、ふと良識に帰ってしまったが最後、気分的に苦労を背負い込んでしまうのが関の山だ。

中には良識や常識をたっぷり持っていても、処世術なのか我関せずと距離を置いて傍観している考古学者もいたりする。
この場合、その対応はひどく魅惑的に見えた。
それを実行できないのは、ふたりの甘さと優しさだとクルーの誰もが思っている。

口に出しては言わないが。

「で、でもオレたちが貧乏なことには違いないよ。こんなにも高額の賞金首が3人も乗ってるのに」
「一番お安いゾロだって、6千万ベリーって金額だからな」
「お安いって・・・市場の魚や野菜じゃないんだからソレはちょっと・・・」

薬箱を持ったまま、チョッパーが脱力する。

その漫才めいた茶番を蜜柑畑から見下ろし、ナミは手の甲で追い払うように促した。

「チョッパー、ゾロを探してたんじゃないの?」
「あ、あああ、そうだった! ゾロー、ゾ〜ロ〜、起きてるか、ちゃんと見張ってるか〜?」

蹄の手を口許に当て、声を張り上げて見張り台の上に向かって叫ぶが少し待っても反応はない。
案の定寝ているのだろうという予想は的中していたようだった。

「まったく、平和そうな海域だからまだ良かったようなものの、これでこの間みたいにまたどっかのバカに急襲されたら目も当てられないでしょ」
「で、でも、いつも真っ先に飛び出してってくれてるから。そのお陰でメリーも船に残ってこっちを守ってるみんなも無事だったようなもんだし・・・」

それは、事実だ。
ナミの溜息は苦笑と共に深くなった。

この辺りのログの指針が、珍しくも混線しているのだと思う。
グランドラインの出発点とも言うべき双子岬から始まり、各航路を選択してかの海を航海している。
そこに交わる共通点はないのだが、稀にそれが近づくポイントでもあるのだろう。

ルフィが3千万だった頃ならばいざ知らず、当の船長は1億にもその額が跳ね上がり、今はゾロにも賞金がついている始末だ。
後から乗り込んだロビンは20年もの長きに渡ってその首を取られなかった強者で、お陰でというのも変だが麦わら海賊団は名実共にかなり名の売れた一団になっていた。

そのせいだろう、麦わらを戴くドクロの帆を見た一団は目の色を変えてかれらを狩ろうとする。
賞金稼ぎ然り、その他大勢の海賊も然り――当然のように賞金や名声を欲しいままにするためだ。

「まあ、お陰でこっちは返り討ちにしてその実入りをそれなりに貰ってるけどね」
「雑魚相手だって、数に限度ってモンがあらぁ」
「ホントだわ」

そう、ウソップの言う通り、限度というものもあるのだ。



最初の頃はナミ自身も喜んだ。
大した実入りにはならなくとも、エンゲル係数の高いこの船のこと、そうした『財源』はいくらあっても足りないのだから。

もちろんそうした海賊が狙うのは麦わら海賊団ばかりでなく、不幸にも出会ってしまったが最後小競り合いから全面対決になっているところもある。

こちらに来れば返り討ちの憂き目に遭うのを判っているのに、どこかで協定でも組んだのか一時は休む間もなく急襲が続いた晩もあった。

さしもの化け物じみた強さを誇る面々でも、極度の緊張状態が続けば隙も生まれる。
大事には至らずとも、それぞれに掠り傷を負う結果になっていた。

もちろんそうした生傷が多いのは、斬り込み先発隊としてもっとも前線にいるゾロだ。

「てめぇ、油断しすぎじゃねぇの? ったく、あれしきの海賊相手に怪我なんざしてるたぁ、未来の大剣豪の名が泣くぜ」
「・・・おめぇに言われたかねぇよ、グル眉。ご自慢のスーツの裾が解れてんぞ」
「う、うん、大丈夫だ、深い傷はないから。少し縫うとこもあるけど、足首やその胸のよりは格段にマシだからな」
「おう、サンキューな、チョッパー」

深手にこそ至らなかったが、その身が負ったものは数多い。
多勢に無勢、倒しても吹っ飛ばしても群がる軍勢に僅かな隙があったことは否めない。

「・・・ち、修行が足りねぇぜ」
「それ以前に、傷を治すこと考えろよ」
「わぁったよ。んなもん、寝てりゃすぐに治るって」

それを有言実行するかのように、ゾロは鍛錬と食事の時間を除き、前にも増してどこででも寝るようになった。



「まったく・・・」

見張り台に上がったチョッパーが再び降りて来たのを見計らい、その様子を窺うように顔を見る。
それを察したのか、人型になっていた船医は降りると同時にいつもの小さな人獣型に戻った。

「ああ、大丈夫だよ、ゾロは。今日の分の治療はしてきたから」
「案の定寝てたでしょ」
「うん。そのせいか、傷の方はもう殆ど大丈夫だから」
「まったく、仕方ねぇなぁ。そんなんじゃ全然気づいてねぇっつーか、そもそも忘れてんじゃねぇの?」
「忘れてる以前に、まったく意識の範疇外なのよ、そういうことにはね」

明日は、宴会大好きなルフィの胃も意識も満たすようなイベント――ゾロの誕生日が待っている。
それを見計らったかのように島にも着く。

少しはゆっくりさせてやれればいいと、誰しもがこっそり思ったことはそれぞれの胸の内だった。

「ああナミ、ゾロが蜜柑をひとつくれって言ってたぞ?」
「ハイハイ・・・」

船医の伝言に肩を竦めることで答え、ナミは手近な枝の熟した果実を採って見張り台へと上った。

縁から中を覗くと、新しい包帯を巻かれたゾロは既に組んだ腕を枕にして見張り台の壁に寄り掛かって目を伏せていた。

「なぁに、まだ寝足りないの? とんだ万年寝太郎ね」
「・・・御託はいいから、とっととビタミン補給と滋養強壮させやがれ」
「うわぁ、態度でか! それがあれこれしてもらってる人間の言う台詞?」
「売った恩は最大限に利用する質なんでな」
「・・・悪党」
「今更だな」

あちこちの海賊団と散々繰り返した小競り合いのうち、肩に負った傷は少なくともナミが絡んでいるのは事実だった。
ほんの少しの隙だったが、疲労が蓄積した最後の状況では彼女の勘がほんの少しずれてしまっていたのも仕方がなかった。

致命傷にも深手にもならなかったが、それでもナミの心には負い目として残った。
そうした貸し借りが嫌いなナミは、自ら申告するかのようにゾロに今回の不始末の詫びを申し出た。

ゾロの出した条件はひとつだった。

それは、『次の島に着くまでの滋養補給』だった。

「ほら、とっとと剥いて食わせろよ」
「・・・みんなが見たら卒倒しそうなこと言うもんだわね、あんたも」
「利用できることにはな」

中身の白い筋を取ることすらさせず、さくさくとその中身をナミの手ずから平らげていく。
その間、ナミは無造作に投げ出されたゾロの膝の上や足の間に座っているのが常だ。

曰く、それも今回の滋養補給の条件になっているらしい。

遊んでいる両の手は、いつしか所在なげにナミの身体を這うことになる。
時にシャツの裾から入り込んだ手が軽い悪戯を施し、ナミの鉄拳制裁を呼ぶことさえあった。

「おお痛ェ。傷に響いて治りが遅くなりそうだな」
「何よ、こんなの蚊に刺されるような可愛いもんでしょ。そこまで面倒見ないんだからね」
「借りはイヤだっつったのはてめぇだろうが」
「・・・だからあんたは悪党だってのよ」
「だから、どれも今更だって」

笑った隙に髪を払ったうなじに口づける。
大きく跳ね上がった肩を見て、ニヤニヤした笑みを口許に浮かべるゾロをナミは拳で黙らせることにした。

「「・・・・・・」」

傍から見てもバカップル丸出しの気配に、甲板に残ったふたりの良識者は黙って首を振る。
そんな中、小さな船医のつぶらな瞳はどことなく思案げに揺れていた。





次の昼時に着いた島はいろいろな産業が発達しているのか、港を始めとしてなかなかの賑わいを見せていた。
ログも数日は掛かりそうなので、強制的にのんびりするしかなさそうだ。

邪魔だった包帯も殆ど取れ、ゾロは欠伸を噛み殺しながら見張り台から港全体を見回した。

「・・・静かだな」

港に入ってからあれこれ作業をこなし、街に下りるのは最後でいいからと船番を買って出た。
それに甘えるかのように、他のクルーたちはようやくの開放感からか嬉々として各々出掛けて行ったようだった。

なかなか活気のある街だと周囲を見渡せば、長い桟橋を凄い勢いで走って来る影を見出した。
何かと思えばチョッパーで、その後ろには派手な衣装でロープを手にした屈強そうな男たちが3人もついて来ている。

その少し前には、あれこれ食材の買出しでもしていたのか、いくつか袋を抱えたサンジが歩いていた。

「サンジー、ゾロー、助けてくれー!」
「ああ? 何の騒ぎだ?」
「おい、何だお前は。そいつは俺らが見つけたんだ、横取りはいけねぇぜ。喋るタヌキとは珍しいからな、ウチの見世物小屋の看板スターにしてやるよ」
「オレはトナカイだッ! ほら、角あんだろ、角ッッ!!」
「んなもんどっちでもいいって。ほらほらお綺麗な兄ちゃん、怪我したくなかったらどきな」

それによってサンジのこめかみにピクリと青筋が浮かび上がる。
そんなものなど最初から見る気もない無頼漢たちは、サンジの容姿に更に言い募った。

「女相手に伊達気取ってカッコつけんのもいいだろうが、俺ら相手じゃやめといた方がいいぜ?」
「そうそう、せっかくの自慢の顔に傷がついて別の意味で女泣かせらんなくなったら大変だもんなぁ」
「・・・そうかい。じゃあ、ひとつ試してみるか?」

もちろんそんな挑発的な言葉にサンジが黙っているわけもない。
秀麗な面に凶悪な表情が掠めた瞬間、下品と紙一重の野次を飛ばした男は綺麗な弧を描いて海面に見事な水飛沫を上げていた。

「んで? ウチの非常食な船医に何用だって? あんたらも泳ぎたいんなら、協力すんのもやぶさかじゃねぇが」
「おおお、覚えてろー!」
「こらぁぁ、置いてくなぁぁッ!」

残像さえ見えない見事な蹴りに圧倒されたのか、男たちはあっさりとチョッパーを諦めて桟橋から方々の態で逃げ出していった。

「・・・一体何の茶番だ?」
「ゾロッ? 起きてたんならどうして助けてくれないんだよ〜! てかサンジ! この船においてのオレのポジションは非常食の方が高いのかッ!?」
「そこんとこはほれ、まあノリってやつ?」

サンジの言葉に憤慨しつつ、あくまでのほほんとしたゾロを見上げる。
まだ少し眠そうな剣士は、背を伸ばしながらのんびりと応じた。

「や、お前はあんな雑魚にやられねぇだろ」
「いいい、今そんなこと言われたって嬉しくなんかねーやい、コンチクショー!」
「「や、さっきの今なのに十分嬉しそうだし」」

甲板に上がって水を飲んでようやく落ち着いたチョッパーは、慌てたせいで背中に乗せていた荷物がぐしゃぐしゃにならなかったか不安だったようだ。
それを確認して何とか大丈夫だったのか、その顔には安堵の色が広がる。

「んあ? こんな真っ昼間から食材の買出しだなんて珍しいな。何かいいことでもあったのか?」

不意にサンジの腕に抱えられた大量の食材を目にし、ゾロは珍しいこともあったものだと問いを投げる。
生物もあるので、大抵買出しはログの溜まる最終日に手の空いた者全員で掛かるのが常だ。
そんなささやかな問いに、サンジは見るからに可哀相な者を見るような目を向けた。

「てめぇ・・・祝ってもらえる権利ねーな。ほれほれ、ここ。この筋肉しか詰まってねぇ胸に手を当てて、この世に生み出してくれた素晴らしい女性に深〜く感謝するんだな」

擦れ違いざまにトントンと指先で胸を突かれ、ゾロは暫くしてからようやくその意味を理解した。
ついでに、と言わんばかりの顔で、その手が荷物の中から瓶を1本取り出す。

「うら、今日の主賓に気持ちばかりのプレゼントだ。味わって飲めよ、もったいねぇからな」
「・・・おう」

ラベルを見れば、それはなかなか上質なウィスキーだった。
こんな量では夜までの繋ぎにもならないが、本当に珍しいこともあったものだと不気味ささえ感じる。

「あ、ゾロ、オレからもあるんだけど、あれこれ下準備があるからちょっと待っててくれな」
「お、おう・・・?」

いつもは普段より豪勢な食事をメインに、樽で仕入れた酒を呑み放題というのが常套だったが、今回は何かしら個人でも用意するように相談したのだろうか。

まさかそんなと首を振って後甲板に出向く。
まだ残りの面子は戻っていないようだし、少し鍛錬でもするかと首を鳴らす。
ここにナミがいれば背中に乗ってもらって丁度いい負荷になるのだが、あまり下手なことを言うと殴られそうなので黙ってひとりでこなした方が無難なようだ。


そうして一通りこなし、秋晴れの上天気に眩しさを覚えて蜜柑畑に通じる階段の横に座って休憩がてらに目を閉じる。

心地好い疲労感は、やがてゾロを淡い眠りの世界へと誘った。



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