明。







「おはよう」

「…………おは、よう」



ナミは目を丸くし、それからどうにか挨拶を返した。
声をかけてきた男はその戸惑った返事を気に掛けることもなく、自分の席へと向かうとどっかりと腰を下ろす。

始業前の朝の教室はガヤガヤと騒がしく、昨日のテレビの内容やネットのニュースなどの話題が飛び交っている。
生徒会役員であり風紀委員でもある真面目なナミでもそれは同様で、一番仲の良い友人であるビビと笑いながら話していた。
だが会話の内容がドラマだアイドルだ、ではなく経済ニュースであるのが二人が他の同級生と少し違うところではある。

そんな教室を一瞬にして静まりかえらせたのが、ロロノア・ゾロであった。
不良として悪い噂の絶えないこの男は滅多に学校に現れず、たとえ登校しても寝ているかサボるかで授業をまともに受けていない。
当然朝のホームルームが始まる前のこんな時間に登校することなど、ナミの知る限りこれまで一度もなかった。
姿を見せないことが余計に噂に尾ひれがつき、生徒たちの間では最早ゾロはヤクザレベルの不良と認識されていた。

そのゾロが、朝から教室内に現れ、そしてナミに「おはよう」と挨拶をしたのだ。
当然クラス中の視線が二人に集まる。
目をつけられて何かされるんじゃないかと心配する友人たちの視線を感じていたが説明してやる余裕は無く、
ナミは席に座り両腕を組んで目を閉じているゾロを見つめ、それから立ち上がって近寄った。
そのことにシンとしていた教室内にざわりと緊張が走り、友人らは小声で止めようとしたが振り切ってゾロの隣に立った。
ゾロは片目を開けてちらりとナミを見上げ、それから大きな欠伸をした。
少し動くたびに周りの生徒たちがビクビクと反応しているが、ゾロがそれに構うことはない。
ナミも同じで周囲の反応を気にすることなく、フフと笑ってゾロを見下ろした。


「朝から真面目に来るなんて」

「あんたがどっかのオカンみたいに煩いから来てやった」

「変な言い方しないで!」

「冗談だよ。行くって言ったろ昨日。何か文句あんのか?」

「無いわよ」


真面目なナミと不良のゾロが対等な会話をしている光景を、周囲の生徒たちは怪訝な顔で遠巻きに見つめている。
時間通りに現れた担任の教師は教室内にゾロの姿を見つけると驚きと怯えの混じった表情になったが、出席を取る際にゾロがちゃんと答えてくれると本当に嬉しそうな笑顔を見せた。
この日のホームルームは、機嫌の良い教師と緊張する生徒、そして平然としているゾロとどこか嬉しそうなナミ、という微妙な空気の中で行われた。

結局午後からはゾロは案の定姿を消したが、翌日もきちんと朝から登校してきた。
ナミに朝の挨拶をし、ナミがそれに返事をする。
他の生徒たちはまだ様子を伺うように近寄らなかったが、ナミの態度を見て最初の頃ほどの怯えは見せなくなった。
ゾロ自身教室で暴れるなどもせず、何の害もなくただ寝ているだけだったり座っていたりで、加えてナミとは声を上げることもなく会話をするので、
目つきの悪さを除けば噂で聞く不良とは程遠いということも、生徒たちの怯えを軽減させる要因になっていた。





それから一週間、ゾロは今のところ毎日登校している。
午前の授業が終わるとそのまま消えてしまうが、それでも以前に比べれば遥かにいいと担任は喜んでナミにお礼を言った。
ゾロのナミに対する態度から、ナミが何かしら行動してくれたのだと思ったらしい。
それは間違いではないが、午後からはサボっているのだから感心は出来ない。

午後からゾロが何をしているのか、ナミは大体の予測はついていた。
初日の登校から数日目あたりで、屋上にいる姿を目撃したのだ。

ナミの教室の窓からは、L字型の校舎の屋上がちょうど見える。
午後の最初の授業で、ふとその屋上を眺めていたら緑頭がちらちらと動いていた。
校内にあの髪色の生徒は他にいないので、ナミはすぐにそれがゾロなのだと気付いた。
様子からしておそらく昼寝をしているらしく、その翌日以降も午後になるとゾロは屋上にいて、どうやらその場所がお気に入りのようで、連日屋上の決まった位置にその姿があった。

数日それを観察してから、ナミは意を決して弁当を食べ終わると昼休みに屋上に向かった。
問題児扱いされている生徒が、ようやく朝から登校してくれるようになったのだ。
乗りかかった船だし、元よりナミは生徒会役員かつ風紀委員である。
クラスの問題を解決する機会があるのなら、それを見逃すわけにはいかない。
それに、会話をしたその翌日にゾロが登校してきてくれたことは、素直に嬉しかった。
喧嘩の場面に遭遇し手当てをしてあげた、たったそれだけの遭遇ではあったが、それがきっかけで学校に来てくれるようになったというのは自惚れかもしれないが、
それでも自分の行動が彼に何らかのきっかけを与えたのだと思うと、ある種の満足感や達成感がある。
だから来るだけではなく、学生らしく授業も真面目に受けてほしいしちゃんと終わりまで教室にいてほしい。
そんな風に思うのは別におかしいことではない、とナミは考えながら足を進めた。


この学校の屋上は、別に立ち入り禁止というわけではない。
だがいわゆる「不良」がよくサボっているので普通の生徒たちはあまり近寄らない。
ゾロが入学してからはほぼ「ゾロ専用」になっていて、他の不良も来なくなってしまい、ナミが屋上への扉を開けると誰の話声もしなかった。

足を踏み入れ静かに扉を閉め、きょろきょろと見渡すと、ゾロがいた。
屋上のフェンスによりかかり、あぐらをかき両腕を胸の前で組んで目を閉じている。
一見何か考え事をしているかのような姿だが、近づいてみるとただ眠っているだけだと解る。
ナミは足音を立てないように傍に立ち、少し悩んだ。

まだ昼休みで、その時間に屋上で昼寝をすることは別に悪いことではない。
今ここで起こす権利が自分にあるだろうか。

生真面目に悩んでいると、唐突に「手ぶらか」と声がかけられた。
危うく叫び声を上げそうになって慌てて口元を手で隠すと、眠っていたはずのゾロがあくびをしながらナミを見上げていた。


「お、起きてたの」

「今な。で、手ぶらか?」

「え?」

「何か手土産無ぇのかよ」

「何でそんなものがいるのよ」

「腹減った」

「……お昼は? まだ食べてないの?」


ナミはそう言って首をかしげる。
ゾロの脇には、ゴミが入っているビニール袋がある。
中身はパンだかオニギリだかの包装紙と紙パックで、それを見る限りゾロは昼を食べている。


「食ったけど腹減った」


ゾロが力無い声でそう言うので、ナミはごそごそとスカートのポケットに手を入れる。
指先にカサリと何かが当たり、目的のものを取り出すと「はい」と言ってゾロの方へと差し出した。
それは数日前の放課後、友人から貰ったアメで、いくつか貰った残りをポケットに入れてそのまま忘れていたものだった。
アメ玉たった一つで空腹が満たされるとは思えなかったが、ゾロは「おっ」と笑ってそれを受け取った。
その笑顔を見てナミは思わず息を呑む。
初めて会話をした日から何故か忘れられない、あの笑顔だ。


「ありがとう」


あの日と同じく、礼儀正しくそう言ってゾロはアメを口に放り込んだ。
オレンジ味のそれをコロコロと口の中で転がしながら、「うめーな」と呟いたので、ナミはただ「そう」とだけ返した。

それからしばらく、ナミはゾロの隣に立ったままでいた。
校庭では元気のありあまる生徒たちがサッカーや野球に興じ、中庭にいる女子生徒らは食後のおやつを食べながら談笑している。
屋上にもそれらの声がかすかに届き先程までのしんとした気配は消えてはいるが、それでも学校とは切り離されたような穏やかな空気を保っていた。
さわさわと風が吹き、ひどくも冷たくもない心地良い風を受けて、ナミは確かに昼寝には持ってこいの場所だわとぼんやりと思った。
その間ゾロも何も言わずにいて、口の中で転がしていたアメをガリガリと噛み砕いて食べ終わってからようやく「何か用か?」と聞いてきた。
ナミははっとして当初の目的を思い出した。
ゾロにアメを上げるためでものんびり風に吹かれるためでもなく、説得しに来たのだ。
ナミはゾロの隣にしゃがみ、同じようにフェンスに背中を預ける。
床に直接尻を付けるのはためらわれたが、その方がラクなので思い切って座ってみた。
それから隣のゾロを見ながら、ゴホンと咳払いをする。


「ロロノアくん、午後の授業出ないの」

「めんどくせぇ」

「そんなこと言わないで、学生ならちゃんと出なさい」

「お。オカン再来か?」

「またそれ!」


からかうその口調に、ナミは思わずゾロの肩を叩いてしまう。
叩かれたゾロは怒ることはなく、はっはっはと軽い笑い声を上げた。

それはまるで子供みたいな、屈託の無い笑顔。
教室内ではゾロはこんな風には笑わない。
ナミも、先日あの場所で会っていなければゾロのこんな笑顔は知らなかっただろうし、今こうして見ることもなかっただろう。
こんな風に笑うのだと知れば、他の生徒もきっとゾロの噂の大半が誤解なのだと気付くに違いない。
勿論一部は真実だろうし、本人に真偽を確認したわけではないのでもしかしたらもっと真実はあるかもしれない。
だが、「性格」に関する部分での噂はきっとほとんどが間違いのはずだ。


「どうした」


ゾロにそう声をかけられ、ナミは自分が無意識にゾロを見つめていたことに気付き慌てて立ち上がった。
同じタイミングで予鈴が鳴り、ほっとしてスカートの裾を正しながら努めて冷静な顔でゾロを見下ろす。


「と、とにかく。ちゃんと午後の授業も出てね」

「なぁ、ナミ」

「……なに」


平静を装ってそれに成功したはずなのに、ゾロに名前を呼ばれてしまいまたナミは動揺する。
友人たちは皆名前で呼ぶし、クラス内の男子にだって名前を呼び捨てにする者はいる。
それなのに、ゾロに呼ばれるとどうにも胸が苦しくなる。

慣れていないからか、それとも別の理由か。

答えを出す前に、ゾロは言葉を続けた。


「お前さぁ、今彼氏とかいんのか」

「……い、いないわよ。何か文句ある」


突然の話題に、ナミはふいっと顔を逸らしながら答えた。
こういった話は、友人たちともあまりしない。
おかげで返答が無意味に素っ気なく、喧嘩腰になってしまった。


「じゃあ、おれと付き合わねぇか?」

「…………」


顔を逸らしたまま、ナミは固まる。
ぎこちない動きでゾロへと向き直ると、ゾロはいたって真面目な表情でそのことにナミはさらに体を固くする。
その一連の動きと表情が面白かったのか、ゾロが噴出した。


「なんつー顔してんだよ、お前」


クックッと笑いをこらえるゾロを見て、ナミはからかわれたのだと気付いて一気に顔を赤くした。
スカートが翻る勢いでゾロの傍から離れ、ズンズンと扉へと向かう。
それからドアノブに手をかけた状態で振り返り、キッとゾロを睨みつけた。


「付き合う訳ないでしょバカ!」


声の限りにそう叫んで、乱暴な足取りで屋上を後にした。








午後の授業の最中、屋上の方を見上げると、フェンスによりかかっているゾロの背中が見えた。
やはり午後も授業に出るつもりはないようで、昼休みの時の体勢から変わっていない。
ナミはぼんやりとそれを見ながら、イライラを収めようと右手でシャーペンをクルクルと回していた。

向こうがどれだけ女慣れしているかなんてことは知らないが、ナミがそういうことに疎いのだと気付いたのだろう。
それをからかうならまだしも、あんな冗談を言うなんて性格が悪すぎる。
ナミの胸中は怒りと情けなさで一杯だった。
怒りは、ああいう冗談を言ったゾロに対して、
そして情けなさは、その冗談を一瞬でも本気に受け取り、同時にそれを喜んだ自分に対してだ。

ありえないありえないありえない。

教師の声などロクに耳に入らず、ナミはただじっとゾロの後ろ姿を見上げ続けた。
時折色々思い出して赤面したり険しい顔をしたりしていたが、他の生徒がそれに気付く事はなかった。

その視線の先で、ぐらりとゾロの体が僅かに揺れた。
力を失ったようにゆっくり横に倒れ、そのままナミの視界から消える。

茫然とそれを見つめ、ナミはガタンと椅子を鳴らして立ち上がった。
教室内の視線がナミに集まり、教師は真面目なナミの突然の動作にきょとんとしている。
後ろの席の友人が「ナミさん?」と諌めるように小さく声をかけてきたが、ナミの目は屋上に注がれたままだった。
しばらくしんとしていたが、教師が「ど、どうしました?」と尋ねてナミはようやく我に返る。


「……あ、あの。気分が悪いんで保健室行ってきます」


動揺したナミの表情を見て、教師は心配そうに「一緒に行きましょうか」と提案した。
真面目な風紀委員であるナミの言葉は教師にとって疑うべき部分はどこもなく、ナミは優しいその提案を丁重に断って出来るだけゆっくりと教室を出た。
だが教室のドアを閉めて数歩進むと、それからはダッシュで屋上へと向かう。







「ロロノアくん!?」


屋上のドアを勢いよく開けると、先程まであぐらをかいていたゾロが同じ場所で倒れていた。
ナミは青ざめ、急いで傍に駆け寄る。


「ちょ……大丈夫!?」

「…あーー……何だ、まだ授業中だろ…」


ゾロは横向きに倒れたまま、ちらりとだけ目を開けて小さくそう言うとまたすぐに閉じてしまった。
とりあえず意識があったことにナミはほっと息を吐き、それからゾロの隣に両膝をついた。


「教室から、倒れたのが見えたから……どうしたのよ、大丈夫なの」

「………」


ゾロは何も答えず、喋れないほど気分が悪いのかとナミはまた慌てる。
昼休みのときはそうは見えなかったが、そのときから調子が悪かったのかもしれない。
気付けなかったことを反省しながら、ナミはゾロの額に手を当てた。
熱は無いようだが、少し熱い気もした。


「ねぇ、どこか痛いの? 頭? 喋れる?」

「……お前さぁ…」


ゾロは体の向きを変えると、足を投げ出してゴロンと仰向けに転がった。
ナミを見上げて、だがすぐにフイと顔を逸らして目を閉じる。


「フッたばっかの男にあんま優しくすんなよな」

「………え?」

「虚しくなる」


ゾロの声は弱々しい。
どうしたらいいか解らず、ナミは伸ばそうとした手をひっこめた。


「…フッたって、どうして私が……? さっきのは冗談でしょう?」


ゾロはゆっくりと目を開けてナミを見つめた。
その顔は真剣で、ナミはどうしていいか解らず見つめ返すしかなかった。


「おれがそういう冗談言うように見えるのか」

「……見える」

「………」


即答するとゾロは若干戸惑ったように見えた。
ゾロは少し考えて、それから腕を伸ばしてナミの二の腕あたりを掴む。


「ちょ、」

「ナミ」


不本意ながら、名前を呼ばれるとどうしても固まってしまう。


「おれと付き合えよ」


掴んだ腕を離さないまま、ゾロは体を起こした。
勿論目も逸らさない。

こんな顔のロロノア・ゾロを、ナミは知らない。
ナミの知るゾロは、喧嘩をしている不良の顔と、それから子供のような笑顔だ。
こんな風な男の顔は、知らない。
知らないから惹かれるのか、ナミはゾロから目を逸らすことができないでいた。

腕を振り払って、さっきみたいにこの場を去ればいい。
ただしゾロの申し出を拒絶したいのなら、だ。
それを解っていながら、何故自分はそうしない。
ナミは何かを言おうと口を開いたが上手く声が出ず、何を言えばいいのかも思い浮かばず結局無言のままで固まっていた。


「……フるなら、ばっさりやってくれ」

「……え、え、と…」

「おぅ」

「じゅ、授業出てくれたら」


逃げるという選択肢も拒絶という選択肢も、ナミの中には無かった。
だがどう答えたらいいのか、散々悩んで出した言葉がこれだった。
ゾロは一瞬目を丸くし、「何だよそれ」と軽く笑った。


「だって! こういうの慣れてないんだもん! 何て言ったらいいのか解らないのよ!」


ナミは顔を赤くして言い訳する。
自慢ではないがこれまで自分から告白をしたことはおろか、告白されたこともないのだ。
こういう状況で自分の中の答えをどう口にすればいいのかすら解らない。


「ハイかイイエでいいよ」

「……そんなもの?」

「そんなモン」


首をかしげるナミに、ゾロは深く頷く。


「で、答えは?」

「…………い、イエ…ス?」

「何で疑問形なんだよ」


そう言ってゾロは笑った。
だって、と言い訳しようとするとゾロの反対側の手が伸びてきて、ナミのオレンジ色の頭をぽんぽんと軽く叩いてそれから優しく撫でた。


「よく出来ました」


突然の優しい言動と、相変わらず目を奪われてしまうその笑顔に、ナミは「茶化さないでよ」と小声で返すのが精一杯だった。




2011/11/06 UP

「『辺。』の続き、ゾロの告白」

不良ゾロと真面目ナミさんのお話です。
もう随分と前でして…どんなキャラだったのか忘れちゃったので(オイ)、変な部分が多々あるかと思います。
大人の対応でスルーしてくださいな。

どんな設定でも最終的にはいつものゾロナミになっちゃうんですけどどうしましょう。


琴乃さん、こんなんで許してくれたら嬉しい…な…。

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