銀色夏生 「小さな手紙」 (角川文庫)
「緑のあいま」
切り取られた窓からのぞく
緑のあいまに空がのぞく
つるがのび葉がしげり風にゆれ音もなく
空気は水のように
雲は泉のように
立ちのぼる
気がつくと
もうそこになく
あとかたもなく
さよなら
私が踏んできた道は
かたく ふみしめられた
土の道
私が踏んでいく道は
強くおいしげる
草の道
みちみち話す人もなく
危険を知らせる旗もない
海の浮き輪もない
自由な道
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「バラの不精」
ゆきどまりの雪道で
苦しみにじゃらまって
灰色の空を見上げてる
帰りたい ほどきたい
愛情のつるがのびてゆく空
ゆきどまりの坂道で
虚しさでからまって
灰色の海をみつめてる
帰りたいほど泣きたい
哀切のつるが まきあがる空
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「時々」
時々 自分の心が
自分の体よりも大きくなって
何kmも広がっているような気分になることがある
その時 体は 心のつま先ほどの場所になり
かろうじてこの地面にくっついていて
さあ 早く あそこへ行かなきゃという
いてもたってもいられない
気分になる
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「単純なこと」
ぐちっぽい人は
ぐちをこぼすのがすき
ぐちをこぼすのが嫌いだったら
ぐちをこぼすはずがない
やさしい人は
やさしくするのがすき
やさしくするのが嫌いだったら
やさしくするはずがない
しゅうねん深い人は
しゅうねん深くするのがすき
しゅうねん深くするのが嫌いだったら
しゅうねん深いはずがない
悲観的な人は
悲観的に考えるのがすき
悲観的に考えるのが嫌だったら
悲観的に考えるはずがない
人のいい人は
人のいいのがすき
人のいいのが嫌だったら
人のいい人でいるはずがない
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「砂漠の天使」
はりめぐらされた壁の中に 小さな花が咲いて
それが青い実をつけた
地球だった
青い実は くるくるまわりながら
うかんでとまって また動き出した
それをみていた天使が砂漠で
空中迷路をつくっていた手をとめて
ふっと 吹いた
青い実は 天使のハッカの風にふかれ
五月の緑の幻をみながら
とんでいった
私たちが 砂漠の天使と
ゆったりした午後のお茶をのむ頃
地球は はるかかなた
印象的な旅をしていることだろう
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「きのうからも明日からも永遠に遠い今日のために」
今日がとてもやさしくて
心なぐさめるものであるように
今日だけが とてもやさしくてあるように
今日だけでも とてもやさしくてあるように
今日さえ克服できれば
目の前には今日しかないから
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「心変り」
心変りは私の変化
相手のせいには決してしない
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「今の響き」
コトリと胸のへこみに響いた
今のことば
その響きが
今の響き
あなたの表情
そのしぐさ
そのことに私が思うことが
今の響き
身のまわりが
答え返す
反響が
私の存在そのもの
その音が 今の
私の場所を
知らせてくれる
高く低く
響きわたる
今の響き
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抱きしめて
さらっても
いいんだよ
すぐに
笑ってる
私だけ
信じないでほしい
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「潮騒」
秋には決して
うちあけない
形のないおくりものが
波音が
うるさく
さわぐので
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「知恵の輪の湖 むやみな後悔」
その湖の水面を 波だたせ
夏らしく光らせ
声高く ひびかせるものは
耳をすまし 目を閉じると
指の間からもれていく
時間という気まぐれ者が
おしゃべりをしながら枝先にすわって
みんなをじっとみてる
殺してください 私をすっと
澄んだあなたなら わけないこと
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「岸辺のふたり」
永遠という嘘を
何度もついたあなた
永遠という嘘を
何度も求めた私
永遠を中心に まわっている
恋という恋
永遠は ひとすじの 流れもようなもの
永遠をみおくる 岸辺のふたり
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「霧の朝」
あなたのほほに ほほをよせて
あなたの冷たさを感じた
このままが もうずっと続いている
秋の霧の朝のように
返事はまだない
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ひかえめにそっといのるような
遠くからそっと いのうような
愛し方をしたいと思う
目の前のあなたを
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あなたの目で
私以外のところに
私をみつけて
私はあなたを
いろんなところにたくさんみてる
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「野の果て」
野の果てに
点在する
光をおびた
白い花
わたしのきのう
あなたのあした
誰かの涙
誰かの哀愁
風に飛ばされて
ここで花咲く
遠い遠いお花ばたけ
深い深い空の下
こおろの奥ふかくに
しまいこんだ
大切なことが
忘れられて
たどりつく野の果て
いつか
いっしょに
行きましょう
深い深い空の下へ
野の果てへ
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「夜のとばり」
夜のとばりが青くひろがり
やっと僕は落ち着いて呼吸ができる
だれもいない
だれもいない
だれもこない
あけはなった窓から
びゅうびゅう風がふいていく
夜のとばりのただなかへ
つかのま とびだしていく自由な心が
ちかっと光り また消える
笑ってるように見えるだろう
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もうぜんぜん
おいつけないくらい遠くに
行ってしまってるんだね
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悲しみなさい
あとでむかえにくるから
行きなさい
あとで抱きしめてあげるから
まちがったとしても
あとで すべてを聞いてあげるから
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「距離感」
近づいて近づいて
ずっと近づいて
君へ
触れるほど近く
そして
そのくせ
どこよりも遠い
へだたりがあるように
尊敬の気持ちで
近ければ近いほど
遠いところへいる人のように
接することが大切で
遠い人ほど
他人ほど
一瞬だけ出会う人ほど
親しげに
心をひらく
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「アネモネ」
アネモネから君がのぞいた
強い気持ちをなくしてた僕は
力なく受けとめる
アネモネが流れていく
静かでやさしい水色の水面
花影に身をかくし
指先の音を聞く
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「笑う君」
君が笑う
にっこりと
思い出したように
ふりむいて
僕を認めて
にこっと笑う
パラグライダーの調子はいい
ヨットもピカピカ
玉子やきもふんわり
どうしてもわからないのは
笑う理由
愛されているのだろうか
心をひらいてくれているのだろうか
そのわりには
またすぐぷいと横向く
君が笑うと
とてもうれしい
笑ったまま止まってくれればいいのに
それもちょっとこわいか
もちろんそんなことありえないし
口にするとバカにされるから
言わない
君が時々ふりむいて
笑ってくれてる間は
意味なくたのしむことにしよう
どうせまたすぐ
泣いたり
するんだろう
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「恋をしてあなたは」
恋をしてあなたは かわいい人になった
あちらこちらに星をつけて
水をまく人になった
つぶつぶのひかりが
遠くまで飛んでいく
恋をしてあなたは 透明な人になる
形さえ今はなく
ただ甘い香りのみ
きれぎれの笑顔が
花ひらくたそがれ
あなたのようになった人だけがもつ
不思議な力がこの世にはあって
その時にだけそびえたつ
不思議な壁もこの世にはある
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「可愛い泣き声」
世界をふんわりおおいつくす
可愛い泣き声
つめたいと言っては
泣いて
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「白衣を着た彼女」
白衣を着た彼女と
昼ごはんを食べた
その姿は素晴らしく魅力的
味気ない食堂の簡素なテーブルによくうつる
気がつくと彼女は
ひとりで自分の考えの中にはいりこんでいる
無口になるからすぐわかる
彼女の頭の中には今
鳥が飛んでいるのだろうか
南アメリカの大空を
それても深い海の底の
貝類をみつめているか
いいえ この庭の赤いカンナよと
ほほえんで答える彼女を
想像して
同じく黙りこむ僕
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「二重基準」
そう思うけど
そう思わないとも言える
好きだけど
興味ないとも言える
どっちも本当だけど
どっちかにしないと
話にならないから
その場に応じていろいろ変える
どっちにしても
真意は同じ
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「夢がなかった」
僕たちには夢はなかった
それが二人の似たところ
夢がなくて 自由だったね
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「賛美と拒絶はよく似てる」
賛美することで
拒絶できるから
あの人をほめて
あの人から逃げた
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「朝の星」
眠れずに
新聞を読みながら
足をのびのびとのばす
郵便物を丁寧にみて
窓をあける
静かな朝の星空
時計をみる
草原のにおいがした
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「帰ろう」
帰ろう
胸の鳴る音へ
カモメが
灯台を横切る音
木の芽が
土を割る音
帰ろう
音の鳴る胸へ
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「つゆくさの下」
かなしみはいくたびもくりかえす
ありし日の情熱の微笑み
君の行く道の細さに
手をのべて ささえたく思う
聞こえくるさまざまな人声に
弱よわし表情を かたくして
ふしあわせ うらぎりと ぜつぼうの思い
うたがいがいちばんの二人の敵
ため息のむらさきの つゆくさの下
目をふせて 身をふせて くちづけをかわす
無関心をよそおったおさない愛を
のりこえて ようやくに ここまでは来た
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「約束したこと」
晴れた日
丘の上で
約束したこと
ずっと昔のこと
忘れない
私たちは変わっても
あのこころは
あのまま
空は青く
風が吹いて
ぽっかりと
うかぶ雲
ひたすらな
情熱
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「何かをはげみにしつつ生きていく」
何かをはげみにしつつ 生きていく
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