「いただきます」

男鹿家ではいつものように夕食の時間を迎えていた。
翌日が休日ということもあり、男鹿の父は既に缶ビールの二本目を開けている。
普段であれば発泡酒一本まで、と決められているが、土曜だけはビールを飲むことが許されていた。

「ところでヒルダさんはお酒は飲むのかな?」

ほろ酔いでご機嫌の父は、赤い顔でそう尋ねた。

「そうねぇ、飲めるの?」

エプロンを外して椅子に引っ掛けた母も、自分の椅子に腰を下ろしながら同じく尋ねる。
夕食の準備の手伝いをしていたヒルダは、自分の席に座ると箸を持つより先に首をかしげた。

「お酒、ですか」

ヒルダはちらりと隣の男鹿に目をやった。
男鹿は既に食べ始めていて、茶碗に山盛りにいれた白飯は既に半分程度になっていた。
もぐもぐと口を動かしながら、男鹿は「あーゆーの」と箸で父親の持つ缶ビールを指し示す。

「魔界にもビールとかあんのか?」
「アルコールという意味なら無いことも無いが……」
「日本のビールもいいもんだよー?」

父は笑顔で新しい缶ビールを開けると、母の出してきたグラスに注いでヒルダに差し出した。
ヒルダはそれを受け取って、まずくんくんと匂いを嗅いでみた。
見た目には炭酸のようで、色合いも悪くはない。
妙な臭いもしなかったので、とりあえず少しだけ口をつけてみた。
男鹿家の面々が思わず無言で見つめる中、ゴクリと喉を鳴らしたヒルダは数秒置いてからにっこりと微笑んだ。

「……おいしいです」
「おー!イケる口だね!」
「でも飲み過ぎちゃダメよー、ヒルダちゃん」
「はい」

ヒルダは両親に笑顔でそう答え、気に入ったのかまたグラスを傾ける。
その様子を横目で見ていた男鹿は、ふと思いいたって「なぁ」と声をかけた。

「お前って、未成年じゃねーの?」
「未成年?」
「ハタチ未満のヤツは酒飲んじゃダメなんだよ、この国じゃ」
「えー、でもヒルダちゃんマカオの子だし、いいんじゃないの別に?」

美咲は呑気に笑っているが、両親は若干心配そうな表情に変わった。
ヒルダはグラスを両手で持ったまま、一瞬だけドス黒いオーラを出したがすぐに消し、男鹿に向かって微笑んでみせた。

「人間の年齢と一緒に考えるな」
「………」
「心配には及びません、お義父さまお義母さま」
「そうなの? あーびっくりしたわー」

ヒルダの返事を未成年ではないという意味だと解釈した両親はほっと胸をなでおろし、一同は夕食を再開した。
先程の黒オーラのこともあって男鹿もそれ以上は追及しなかった。
実際年齢不詳であるし、自宅で飲む分には大した問題ではないだろう。
第一悪魔なのだから、日本どころか人間の法律自体関係無いというものだ。

その後夕食はいつもより少しばかり盛り上がったのだが、「ごちそうさま」と立ち上がったところで男鹿はようやく異変に気付いた。

隣に座るヒルダはいつものように姿勢を正してはいるものの、その目はやけに虚ろだった。
よく見れば目の前には空になったビールの缶が三本も転がっている。

「お、まえ! いつのまにそんなに飲んでんだよ!」
「んー?」
「……酔ってんのか?」
「んー」

顔を上げて男鹿を見るヒルダの目はとろんとしていて、いつも無表情で凛としている姿からは想像もできないほど、気が抜けている。
男鹿は溜息をついて、両親を睨んだ。

「あのなぁ、いきなりこんな飲ませんなよ」
「まぁまぁ、明日お休みだしいいじゃない」
「ヒルダちゃん、今日はお風呂入らずもう寝なさいね」
「はぁい」

いつもよりだらしない返事に男鹿は呆れつつ、ヒルダの腕を掴むと引っ張って立ち上がらせた。
ヒルダは抵抗することもなく、軽々と引っ張り上げられるとそのまま男鹿の胸に飛び込むように寄りかかる。

「行くぞ」
「んー」
「たつみー、いくら嫁でも酔った女子襲うんじゃないわよー」
「誰が襲うか!!」

ベル坊をいつものように頭の上に乗せ、ヒルダを片手で支えながら男鹿はキッチンを後にした。
まるで荷物を抱えるように腕をまわしているから、ヒルダの足は半分床から浮いている。
普段こんな抱き方をしようものならすぐにでも鉄拳か剣が飛んできそうなものだが、酔っ払ってご機嫌なヒルダは文句も言わずにされるがままになっていた。

部屋に入ると、男鹿はヒルダをやはり荷物のようにベッドの上に放り投げた。
ヒルダは何度かシーツの上をゴロゴロと転がると、すぐに寝息を立て始める。

「酒よえーんなら最初から言えっつーの」

男鹿は呆れた声で一人呟いて、ベル坊も同じようにヒルダの隣に座らせると自分は床の上に腰を下ろし、ベッドによりかかってゲームのスイッチを押した。




二時間ほどして、男鹿はデータをセーブするとゲームの電源を落とした。
両腕を上げて「うーーー!」と唸りながら背中を思いきり伸ばし、そのままベッドに倒れ込む。
逆さの視界の中にヒルダの姿を確認すると、相変わらずすやすやと眠っていた。
時折「坊っちゃまぁ〜」と呑気な声で呟いている。

「幸せそうに寝やがって……ベル坊ほったらかしだぞ」

そのベル坊は、相手にしてもらえず寂しいのか、ヒルダの頬をつついたりして「ウー」と不満の声を漏らしている。
男鹿は未来の魔王らしからぬその姿にこっそり笑って、立ち上がると背後からベル坊を抱き上げた。

「今夜は諦めろベル坊、風呂行くぞ」
「ダー……」

ベル坊はいまだ不服そうではあったが、抱っこされるとくるりと器用に向きを変えてシャツにしがみついてきた。
男鹿はよしよしとその頭を撫でてやりながら、ヒルダを起こさぬよう静かにドアを開けて風呂場へと向かった。

男鹿がベル坊と一緒に風呂に入るときは、まずベル坊の頭や体を先に洗い、それからそのへんのおもちゃで遊ばせている間に男鹿自身も頭と体を洗う。
そうして一緒に湯船に入る、というのがいつもの手順だった。
この夜も同じようにして、男鹿とベル坊は湯船へと身を沈ませた。

「気持ちいいかー、ベル坊」
「ダー!」

温かいお湯にすっかりご機嫌になったベル坊は元気な声で返事をした。
普段もベル坊をのぼせさせないように長風呂はしない男鹿は、五分もしないうちに湯船から出た。
浴室を出て、傍に準備していたタオルでまずはベル坊の髪と体を拭いてからそのタオルでぐるぐると包みこむ。
それから別のタオルで自身の体も拭くと、腰に巻きつけた。
しゃがみこんでもう一度ベル坊の体をしっかりと拭いてから、立ち上がり自分の替えの下着に手を伸ばす。

脱衣所のドアが開いたのは、ちょうどそのタイミングだった。

「…………ヒルダ?」

ドアを開けたのは、部屋で寝ているはずのヒルダであった。
その表情は先程までの抜けたものではなく、どこか怒っているような無表情、つまりはいつも通りだったので、一眠りした間に酔いが覚めたのかと思われたがその目はまだはっきりとはしていない。
ドアのところに立ったまま、男鹿を睨むように見つめている。

「……風呂に、入る」
「は?」

ヒルダはそう言い捨てて、数歩進むとそこで豪快に服を脱ぎ始めた。
男鹿は思わず下着を握りしめたままクルリと背を向け、「おいヒルダ!」と叫んだ。
背後では布と肌のこすれる気配がして、ヒルダが何かを床に放った音がした。

「お前、酔ってんだぞ!? 解ってんのか!?」
「風呂に入る」
「だからまずいんだってソレが!」
「何よ、何の騒ぎ?」

開けっ放しになっていた脱衣所のドアから、男鹿のわめき声を聞きつけた美咲がひょいと顔を覗かせた。
普段ならうるさいのが来たと思うところだが、今回だけは有難かった。
男鹿は「姉き!」と叫んで振り返る。
必然的にヒルダの姿を見ることになったが、こればかりは仕方ない。
ヒルダは既に上半身は何も身に着けておらず、下だけはかろうじてまだ履いていた。
そんな姿なのに堂々と仁王立ちしているのだから、どう考えてもいまだ正気ではない。

腰にタオルを巻いただけの男鹿と服を脱いだヒルダの姿を交互に見て、美咲はニヤっと笑うと「お邪魔しましたぁ〜」と顔をひっこめた。
だが「待て待て待て!」と男鹿が慌てて叫ぶと再び顔を出す。

「何よ、別に構わないのに」
「姉き! こいつ連れてってくれ!」
「なんで?」
「風呂入るとか言ってんだよ」
「いいじゃない。それがどうかしたの」
「こいつ酔っ払ってんだぞ!? ぶっ倒れたらどーすんだ!!」
「あんたが一緒に入るんでしょ? だったら大丈夫じゃないの」
「なっ……」

姉の返事に男鹿は思わず言葉に詰まり、茫然とする。
美咲はしゃがみこむとベル坊に向かって「ベル坊こっち来ーい」と手招きした。

「……つーか、風呂なんざ入らなくてもいーだろ!?」
「布団には綺麗な体で入りたいっていう女心が解らないかねー」

素直に寄ってきたベル坊を抱き上げると、美咲は立ち上がり男鹿に向かってにっこり笑う。

「ベル坊は私が見といてあげるわよ。他はもうみんな入ったから、今日はお湯につかるだけにしときなさいヒルダちゃん」
「はい」
「長湯したら危ないからねー、色んな意味で」
「どういう意味だよコラ!!!」

声をかけられて返事をするくらいだから、ある程度はヒルダも意識が戻ってはきているのだろう。
表情自体はいつもに近いとはいえ、やはりまだ虚ろな目である。
そもそもパンツ一丁の姿で平然としている段階で、正常ではない。

「じゃ、ごゆっくりー」

別にヒルダの姿に見惚れていたわけではないが、そのほんの僅かな間に美咲はベル坊と共にさっさと風呂場を後にし、ヒルダも最後の一枚を脱ぎ捨てると男鹿の横を通り過ぎて浴室内に入ってしまった。

「おい、ちょ……」

どちらを説得すべきか迷っている間に、二人とも自分の前から消えてしまった。
しばらく唸っていた男鹿だが、やはり酔っ払いを一人で入浴させるわけにはいかないので、「あーくそ!!」と叫ぶと下着とタオルを投げ捨て自身も浴室へと入った。

中に入ると、ヒルダは立ちつくしたまま頭からシャワーの湯を浴びていた。
髪はいつものように頭の上でまとめたままだから、風呂に入る気があるのかないのかよく解らない。
男鹿は背後から腕を伸ばしシャワーの湯を止めると、ヒルダの肩に手を置き湯船の方へと体を向かせた。

「洗わなくていいから、もう入れ」
「ん」

通常仕様の毒舌も何もなく、ヒルダは素直に頷くと湯船へと足を入れた。
中にきちんと座るのを確認してから、男鹿は溜息と共に浴槽の淵に腰を下ろす。

別にヒルダの裸を見るのが初めてというわけでもないのだが、酔っ払って正気ではない人間にじろじろと視線を送るのは躊躇われた。
めんどくせーな、と思いながら男鹿は背後のヒルダに声をかける。

「長風呂はすんなよ」
「………」
「おい、ヒル―――」

返事が無いので振り返ると、ヒルダはぶくぶくと気泡を吐きだしながら湯船に沈んでいた。
慌てて腕をつっこみ、両脇に手を入れて引っ張り上げると、本人は溺れた自覚がないのか不思議そうに首をかしげている。
男鹿は半分怒りも混じって、舌打ちをした。

「だから言ったんだ、バカ野郎」

それは風呂に入ると言い張るヒルダと、ちゃんと見なかったせいで溺れさせてしまった自分への怒りである。
ヒルダをきちんと湯船の中に座らせると、男鹿は今度は自分も湯船に入った。
それからバシャバシャ水面を揺らして座る向きを変え、自分の足の間にヒルダを移動させた。
ヒルダはやはり抵抗することもなく、むしろ安心したようですぐに男鹿に背中を預けてきた。

先程の脱衣所でのやりとりのおかげで冷えた体がだんだんと温もってきて、男鹿ははぁと息を吐いた。
二人で入るには狭い風呂だが、こうしてぴったりひっついていれば入れないこともない。
肌の触れ合っている部分から湯の温度以上の熱を感じつつもそれを考えないようにしながら、ちらりと視線を下にやった。

ヒルダは男鹿に背を預け、横で支える腕に頬を寄せるようにして、目を閉じている。
風呂場に現れたときは無表情だったが、今は酔っ払った当初と同じように、どこか抜けた感じで笑顔を見せている。

「この酔っ払いが……」

頭から浴びたシャワーと先程沈んだせいでびしょ濡れになった髪が頬に貼りついていたので、男鹿はぶつぶつ文句を言いつつも指先でよけてやった。
ヒルダの頬は、酒と湯の影響でうっすらと赤く火照っている。
さらに視線を下にやると、湯に浮かぶ胸が同じく赤みを帯びて触ってくれと言わんばかりに揺れていたが、男鹿は必死に煩悩を振り払った。
酔っ払った人間を襲うわけにはいかないし、バレたらあとで確実に処刑モノだ。
それにヒルダは完全に安心しきって、こちらに身を預けているのだ。

とはいえすぐ傍にある白く細い首筋からは体も洗っていないのに何故かやたらと甘い香りがするし、無意識だろうが先程からヒルダは男鹿の腕に撫でるように指で触れている。
その微妙な刺激が、もどかしくて仕方がない。

「生殺しかよ………」

男鹿の努力など露知らず、ヒルダは幸せそうな笑顔で、時折フフと声さえ漏らしている。
普段とは違うそんな姿をかわいいと思う自分を否定することも出来ず、男鹿は思わず自分でも笑ってしまった。
それからせめてこれくらいは、と言い訳をしてから、ヒルダを思いきり抱きしめた。




結局そのまま長風呂してしまい、のぼせてぐったりしたヒルダを抱いて階段を上る途中で美咲に見つかり散々からかわれた。
だがヒルダがやはり幸せそうに眠っていたので、まぁいいかと男鹿は部屋へと向かった。

そしてもう一つの救いは、翌朝目覚めたヒルダが前夜の出来事を全く覚えていなかった、ということであった。


(了)




『甘く、酔う。』

またも某様の絵に辛抱たまらん!てなって妄想。

2012/04/23 UP

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