「……なんだ、まだ起きていたのか」

しんと静まったホテルの部屋に足音を立てないようにそっとドアを開けて入ったヒルダは、人影を見つけてそう声をかけた。

初めての飛行機の疲れでも出たのか、既にベル坊は窓側のベッドの上で可愛らしい寝息を立てている。
男鹿はその隣でぼんやりとあぐらをかいて、窓の外を眺めていた。
部屋の電気は消されていて、ベッドサイドのランプだけがぼんやりとその姿を照らしている。
同室の古市はというと、どうやら沖縄ガイドブックを読んでいる途中で寝てしまったのか、壁際のベッドの上で本を枕元に広げたまま、男鹿に背中を向けるように丸くなっている。

「遅かったな」
「うむ。広い風呂というのはやはり気持ちがよいな」

夜に一人で大浴場に行っていたヒルダは、手に持っていたタオルや着替えを自分の旅行鞄の上に置くと、ベル坊の傍に近づいた。
当然髪は下ろしており、だが既に乾かしてきたらしく、ヒルダが下を向くと金色の髪がさらりと流れる。
男鹿と同じくホテル備え付けの浴衣を着ていて、ベル坊を撫でるために少し身を屈めると胸元が少し広がり、健全な男子ならおそらく誰でもそこに目が行くだろう。
自分の背後でそんな無警戒な姿をさらしているヒルダを、男鹿は肩越しにちらりと見てからまた窓の外に目を戻した。

「上、何か着ろよ」
「何故だ?」
「キモ市が飛びついてくるぞ」

そう言われて、ヒルダは後ろに目をやる。
隣のベッドの古市は何の夢を見ているのか、「うふふふふ」と楽しげな寝言を呟きながら眠ったままだ。

「寝ておるから問題ないだろう」

きっぱり言って、ヒルダは男鹿に背を向けるようにベッドに腰を下ろした。
ベッドが少し鳴ったが、ベル坊が起きる気配は無い。
ヒルダは優しくベル坊の頭を撫でながら、「修学旅行というものは」と男鹿の方は見ずに呟いた。

「なかなか面白いな」
「まだ一日目だろ。どこにも行ってねーぞ」
「一緒に風呂に入るなど、これまで経験は無い」
「あぁ?」

両腕を後ろについて、男鹿は首を逸らすようにしてヒルダの顔を横から覗き込む。
風呂上がりのせいか、うっすら頬を染めたヒルダはおそらくは無意識に嬉しそうな笑みをこぼしている。
それを見た男鹿はすぐに視線を外し、天井を見つめる。

「……誰かと一緒に入ったのか?」
「あぁ、一度目に。邦枝のところの女たちと、半ば無理矢理に連れて行かれてな」
「ふーん」

男鹿は素っ気なく答えて姿勢を戻すと、また窓の外の夜景を眺めた。
夜景と言っても海なので、明りは無い。
ただ真っ暗なだけだ。
二人が無言になると、波の音がかすかに聞こえてくる。
オーシャンビューであり、部屋の広さも考えると、強引に参加した修学旅行にしてはかなりの好条件である。

「……さっきから何を見ている?」
「なんにも」
「は?」
「飛行機ん中で寝過ぎて、眠くねーから。そんだけ」

ヒルダは体を捻って、男鹿の背中を見つめる。
頑なにこちらを見ようとしない男の姿にヒルダはふっと笑い、それからギシリと音を立ててベッドにあがると両手と膝をついた格好で移動する。
そうして男鹿の隣に行って、同じように窓の外を見る格好でベッド上に並んで座った。

「……何だよ」
「私を待っていたと、どうして素直に言えんのだ貴様は?」
「………待ってねーし」
「そうか」

ヒルダの微笑みは全てを見透かしているようで、男鹿はぷいっと反対側に顔を逸らした。
それは「待っていた」と認めるも同然の行動だったが、ヒルダはそれ以上は追及しなかった。

「明日は何をするんだ?」
「さぁ……観光じゃねーの。自由行動がどんくらいあるかは知らねーけど」
「無断で離れるなよ」
「……じゃあ最初っから一緒にいればいーだろーが」
「それもそうだ」
「第一勝手に消えてんのはそっちも同じじゃねーか」

男鹿はそう言って、じろりと隣のヒルダを見下ろした。

「私が、何だ」
「風呂から帰ってきたらいねーし、お前」
「先にいなくなったのはそっちではないか」
「うるせーうるせーーー」

今度はヒルダに睨み返されて、男鹿は無理矢理言葉を遮った。

「それに」
「ドブ男の分際でまだ何か言うか」
「人と一緒に風呂入ったことないっつってたけど、オレとベル坊と入ってんだろ」

拗ねたような口調でそう言う男鹿を、ヒルダは目を丸くして見つめる。
それから耐えきれず噴き出した。
その反応に男鹿は顔をしかめて、フンと鼻を鳴らす。

「同年代の女と入るのが初めてだ、という意味だ、愚か者」
「……別にどーでもいいし」
「それに、お前と坊っちゃまは特別だからな」
「………」

ヒルダにとってベル坊が「特別」であることは、出会ったときから今まで変わらぬ事実だ。
それと並べて男鹿を「特別だ」としたヒルダの発言は、たとえ本人にとってはそれほど意味を持たせたものではないにしても、男鹿の機嫌を復活させるには充分な威力があった。

ヒルダは微笑んだまま、男鹿の肩にとんと頭を乗せてよりかかる。
家で使うものとは違うシャンプーの香りがして、男鹿は思わず反対の手を出して自分の肩にかかっているヒルダの髪を梳いた。
シャンプーの種類は変わってもやはりサラサラしていて、自分の体のどこを触ってもこの感触は無いからついついいつまでも触ってしまう。
それから一房すくって、くんと鼻を近づけた。

「どうした」
「家のヤツの匂いの方が、好きかも」
「まぁ、旅先で贅沢は言えまい」
「そりゃそーだ」

男鹿はヒルダの髪を触りながら、相変わらずぼんやりと窓の外を眺める。
ヒルダも無言でそれに寄り添い、同じ方を見ながら波の音を聞いていた。

「……風呂、なかなか広かったなー」
「混浴があれば良かったがな」
「家族風呂とかか」
「この前の、お義母さまたちと皆で行った温泉もなかなか良かった」
「じゃ頑張ってまた宿泊券当ててくれ」
「魔界温泉ならいつでも行けるが」
「オレらを殺す気ですかヒルダさーん」








「………………」

古市は必死に平静を保とうとしていた。
うっかりすると飛び上がって叫びそうになってしまうが、どうにか不自然になりすぎない呼吸をして起きているのが男鹿とヒルダの二人にバレないよう努力した。

どうして自分がこんな気を遣わなければならない。
第一なんであのバカ夫婦と同室なんだ。
いやそもそも学校の修学旅行で男女同室とかありえないだろ。
アリならアリで男鹿が邪魔だ。
もしくはクイーンと同室になりたかった!

古市は半分泣きながら、恨み事のように心中で「男鹿コロス男鹿コロス」と繰り返しぎゅっと体を丸めた。
目を覚ましたらいつの間にかヒルダが戻ってきていて、起きて声をかけようとしたが二人の会話に割って入るタイミングを逃した、そんな少し前の自分を古市は思いきり怒鳴りつけたかった。

どうして本読んで寝てしまったんだ、最初から起きていればこんな空気の中で息をひそめる状況になんかならなかったのに。

背後に感じる二人の気配は、完全に古市の存在を忘れている。
百歩譲って忘れてはいないとしても、それはつまり「人がいようがいまいが関係ない」状態なので逆にタチが悪い。
ベル坊を起こさないよう声を潜めてはいるものの、静かな部屋では会話は充分聞こえてくる。
聞きたくない二人の私生活に関することも聞こえてしまい、古市は過去最高に男鹿への殺意を覚えていた。

背中を向けているから今二人がどういう状態なのかは古市には解らないが、声の様子からするにおそらくは隣同士にいることには間違いなく、下手すりゃイチャイチャ状態だということも推測できた。
そしてもっと下手すれば、この二人はこのまま何かやらかしてしまうんではないか、という心配すらさせられる。

見たいような、見たくないような。

微妙な心境の古市は、罪悪感よりも好奇心よりも、とにかく羨ましいという至極健全な結論に辿り着いていた。



「……何の匂いだこれ」
「あぁ、これか……風呂場にハンドクリームが置いてあったから、使ってみた」
「柑橘系?」
「知らん」
「腹減ったときに嗅いだら誤魔化せそうだな」
「まぁ、このままこうしていたら貴様の手にも匂いが移るだろう。空腹の足しにしろ」



何手ぇ繋いじゃってんのーーーー!!!!!!と古市は無言で叫び、いっそもうこの場からさっさと逃げ出したかった。
自分の存在を完全無視され相手にもされず、こっちがどれだけ気を遣っているかなんてきっと勝手にイチャついているあの二人は想像どころか気付いてもいない。
悪気があるわけではないのがさらに問題だ。


「……味は微妙だな」
「そもそも食べ物ではない、舐めるな」


神様、泣いてもいいですか。

古市は気付かれないようにそっとシーツを引っ張り上げ、さらに丸くなる。
オレの方がどう考えても女の子が好きだし大事にするしたくさん優しくするのにどうしていっつも男鹿だけハーレムなんだ、オレじゃ駄目なのか、いやオレが駄目なのか、オレは駄目人間なのかそうかそうなんだこんなモテない駄目人間は消えてしまえばいいんだ……!!!
というネガティブ志向が全開になり、古市は密かに枕を涙で濡らす。

「……き」

ふと誰かが自分を呼んだ気がして、古市は泣くのをやめてこっそりと二人の様子を伺う。
だが男鹿とヒルダは相変わらずの様子で、古市の名前を呼ぶどころか気にもかけていない。
寂しさのあまりの幻聴か、とまた泣きたくなったが、今度は小さくではあるがはっきりと「たかゆき」と聞こえた。

古市はゆっくりと、声のした方…つまりベッドの下を覗き込む。
そこにいたのは案の定とでも言うべきか、期待を裏切らない男アランドロンであった。
器用にその巨体をベッドの下に入れ、体半分出して横たわった状態で古市を見上げている。
いつまでたっても慣れないその突然の登場に、古市は叫ぶことも忘れて青ざめた。

アランドロンは大きな体を縮めるようにもじもじとしながら、ポッと頬を赤らめる。

「私、我慢しなければと思っていたのですが、貴之のいない夜はあまりにも寂しくて………来ちゃったv」
「…………」
「貴之と一緒でなければもう眠れないのです……」

普段ならば、こんな変態戯言は聞き流すかダッシュで逃げるかするだろう。
だがこの夜の古市はおそらく人生で最大にヘコんでいたせいで、そんな行動を取ることはなかった。

かつてこんなにも自分を必要としてくれた人がいただろうか。
たった一晩離れただけで寂しいと言って、こうして会いに来てくれる人がいただろうか。
これからの人生で、これ以上に自分を想ってくれる人と果たして出会えるのだろうか。

瞬間そんなことを考えてしまい、古市はじっとアランドロンを見つめた。

「おや貴之……顔が赤いですよ、風邪でも?」
「…………!!!!!」

アランドロンの言葉で古市はハッと我に返る。

あっぶねーーーーーーー!!!!!!!!!

古市は思いきり体を丸めて、ぶんぶんと頭を振る。
不覚にもアランドロンの言葉にときめき、さらに不覚にもアランドロンに向かって頬を染めてしまったのだ。
自分で自分が信じられず、いっそ夢であってくれと固く目を閉じてそれからそっと開けてみたが、相変わらずアランドロンはそこにいた。

「貴之?」

こんなヒゲ面のムキムキ親父にときめくなんてありえない気の迷いとしてもありえない!!!!
オレは誰だ古市貴之だ好きなものは女の子だよーしいいぞいいぞ戻ってきたぞ女の子万歳!!!!

だがそうやって古市が必死に自分を取り戻しつつあるなか、無情にもアランドロンはぱかっと割れていた。

「さぁ貴之、参りましょう。ベッドは暖めておきました故……」
「違う違うオレはこっちじゃない違うんだぁぁぁぁぁ!!!!!」





「む?」
「何だ今の、しめられる直前の鶏みたいな叫びは」

男鹿とヒルダが振り返ると、既に古市のベッドは無人になっていた。
だが二人はそれを不思議とは思わず、「あぁ、アランドロンか」とすぐに納得する。

「仲のよろしいことだ」
「オレらも寝よーぜ」

あくびをしながらそう言う男鹿を、ヒルダはニヤリと笑って見つめた。

「飛行機の中で寝過ぎて、眠くないんじゃなかったのか?」
「………眠くなったんだよ!」」
「ふむ」

男鹿は舌打ちして、ニヤニヤ笑っているヒルダから逃げるようにさっさとシーツの間にもぐりこんだ。
ベル坊を挟んでヒルダも同じように身を滑り込ませ、そうして枕やシーツの感触に満足気に頷く。

「貴様のベッドよりも広くて、寝心地が良いな」
「狭くて悪かったな。そもそも一人用なんだよありゃ」
「うむ、これなら貴様とひっつく必要は無さそうだ」
「あーそうですか」




翌朝、アランドロンによって無事に元の部屋に転送された古市は、広いベッドで三人ぴったり寄り添って眠っている男鹿たちの姿を見て半泣きで膝から崩れ落ちることになったが、熟睡する男鹿とヒルダがそれに気付く事はなかった。


(了


『運命の人。』

沖縄修学旅行、ホテルでのお話。
男鹿ヒル+アラ古(笑)。
うっかりときめく古市がメインですwww

2012/03/31 UP

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