「バレンタイン?」
「マカオにはそういう習慣ないの?」
「はい」

土曜の午後、男鹿の姉である美咲と共に居間のソファでテレビを視ていたヒルダは、そう答えて不思議そうに画面を見つめる。

テレビのワイドショーでは、バレンタイン特集のコーナーを放送している。
チョコレート売り場に群がる女たち。
インタビューを受け、楽しげに回答する女たち。
それからチョコレートメーカーのおすすめチョコの紹介。

ヒルダはチョコレートのことは知っている。
人間界に来て、男鹿家の面々と共にお茶するときによく食べるし、甘かったり苦かったり、物によって味が違うのも嫌いではない。
だが「バレンタイン」という風習は知らなかった。
テレビの中の司会者や女子アナウンサーの話を聞く限りでは、女から男への贈り物ということらしい。
だが「本命」だの「義理」だの「友」だの、色々な種類があるらしく、ヒルダの頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいるように見えて、美咲はクスクスと笑う。

「友達同士で渡したり、教師とか会社の人にお世話になってますーって配ったりもするのよ」
「なるほど。では本命というのは……」
「それはもちろん、好きな人に贈るチョコよ」
「……好きな人」
「彼氏とか旦那とか、これから告白する相手とかね。若い子は受け取ってもらえるかなーってドキドキしながら選らんでるわけよ。かわいーわよねー」

美咲の説明を聞いて、ヒルダはまたテレビ画面を見つめる。

どうやら女子にとってはそこそこ大きなイベントらしい。
大量に購入している者もいるし、真剣にひとつのチョコを選んでいる者もいる。
インタビューを受けた女の中には、恥ずかしそうに、だが嬉しそうに頬を染めて「本命です」と答えている者がいた。
要はあのハート型のチョコに、己の気持ちを込めているのだろう。
本命チョコというのは、愛を込めたそれを受け取ってもらうというのが最終目的らしい。
想いが通じ合っていれば当然受け取ってもらえるが、断られてしまう可能性もあるということだ。

「ヒルダちゃん、どうする?」
「そういうことなら、私は坊っちゃまに―――」
「あかんぼにチョコは早くない? まだミルクでしょ」
「……ですね」

ヒルダは密かに上がりかけたテンションを、美咲に気付かれないようにどうにか元に戻した。
主のために愛を込めたチョコを選ぶというとても幸せそうな作業が叶わないのなら、バレンタインなどというものにもう興味は無い。
またテレビ画面に目を戻し、ズ…とお茶をすする。

隣の美咲は、そんな姿を見ながらにやにやと笑いヒルダの脇をつついた。

「じゃなくて、たつみよ、たつみ」
「……というと?」
「どうする? 本命だし、やっぱ手作りする?」
「………」

男鹿の家族にとっては、ヒルダは「たつみの嫁」である。
本命チョコという話題になれば、男鹿に渡すという発想になるのも当然だ。
実際は嫁なんかではない上に当のヒルダに「本命」=「男鹿」の図式が脳内で成立していないため、渡すという発想さえ生まれていなかった。
だがこの家にいる以上は「嫁」という立場が一番便利ではあるし、今更他の設定を考えるのも面倒なので、ヒルダはどう説明しようかと言葉に詰まる。

だが確かに男鹿には世話になっていると言えなくもない。
つまり先程の美咲の説明で言うところの「義理」という括りになるわけだ。
ならばいつものスーパーで売っているチョコレート菓子でも渡しておけばいいのか?とヒルダは考えていたが、美咲の言葉で思わず固まってしまう。

「あいつ、本命チョコほぼ毎年貰ってるけど、今年はヒルダちゃんがいるからどうなるかな」
「…………は?」
「ん?」

ヒルダの纏う空気が一瞬にしてドス黒いものに変わり、今度は美咲が首をかしげる。
だがすぐにその気配は消え、ヒルダの顔もいつものクールな表情に戻っていた。

「どーしたのヒルダちゃん」
「毎年……本命を貰っているとおっしゃいました?」
「あー、そうそう。なんてゆーかさ……アレよ、やんちゃな女子にモテるのよ」

美咲はケラケラ笑いながらそう答えた。

男鹿は本人の自覚はともかく、まわりから見れば立派な不良である。
普段から凶悪面なわけではないが、いったん喧嘩となると誰がどう見ても悪魔面になる。
だから普通の女子ならビビって近寄らないし、惚れることもないだろう。
だが美咲曰くの「やんちゃな女子」ならば、その強さに惹かれるとしてもおかしくはない。

「その本命というのは……手作りで?」
「どーだろ、お店のだったり手作りだったり、色々貰ってたわよ。まぁでも、やっぱ本命は手作りが多いかな」
「……」

人の料理にはケチをつけるくせに、見も知らぬ女からのチョコはヘラヘラと受け取るわけか。

実際その現場を見たわけではないのだから、男鹿がヘラヘラしていたかなんてヒルダは知らない。
だが、「本命チョコ」を「受け取っていた」という事実が何故だかものすごく不愉快で、持っていた湯飲み茶碗にピシリとヒビが入る。

「……ヒルダちゃーん?」
「…………チョコ、作ります」
「あらっ、やる気ね。じゃあ材料買いに行こっか! 最近はセットになってるから便利よー」

そうして美咲は伸びとともに立ち上がり、一方のヒルダは目をギラギラとさせながら立ち上がった。




バレンタイン当日、学校から帰宅した男鹿はいつものように自室に向かった。

この日ヒルダは登校しなかった。
元々毎日行っているわけではなかったので、男鹿も周りの人間もそのことを特には気にはしていなかった。
学校に行かないときは、家の仕事を頼まれているか、魔界へ帰っているか、大抵はそのふたつの理由だ。
今回は家の用事だったらしく、男鹿が部屋に入るとヒルダは魔界ではなくそこにいた。

「ただいま」
「お帰りなさいませ、坊っちゃま」
「アイ!」

男鹿は鞄を放り投げて、着替えるために制服に手をかける。
だが突き刺さるような視線を感じてゆっくりと振り返ると、偉そうに足を組んで椅子に座ったヒルダがじっと男鹿を睨みつけていた。
膝の上のベル坊は、いつものようにご機嫌でヒルダに頭を撫でられている。

「……何だよ」
「……貰ったのか?」
「あ?」
「今日はバレンタインデーという日なんだろう」
「……そうだけど」
「貴様、毎年本命とやらを貰ってるらしいな?」
「……………姉貴か、あのヤロウ……」

男鹿は学ランを脱ぎ捨て、舌打ちをする。

「貰ったのか?」

ヒルダは再び、同じ質問を繰り返した。
男鹿を見つめる目は相変わらず鋭くて、何故こんなにもヒルダの機嫌が悪いのか理由が解らない男鹿はガリガリと頭を掻く。

「どうなんだ」
「しつけーな。貰ってねーよ」
「それは、今年は受け取っていないという意味か?」
「何なんだよさっきから」
「………」

ヒルダは立ち上がり、ベル坊をその椅子の上に座らせる。
それからいつもの傘に仕込んだ剣をすらりと抜くと、無言で男鹿に突き付けた。
眼前でキラリと光る刀身を見つめながら、男鹿は口元をひきつらせる。

「答えろ」
「なんでいきなりオレ脅されてんの!?」
「答えろと言っている」
「……そういう意味だよ。ベル坊が泣くからひっこめろコレ」

ヒルダはなおも男鹿を無言で睨みつけ、だがフンと鼻を鳴らすと剣を元に戻した。
先程までの険しい表情は、ほんのわずかながら緩んでいる。
少し見ただけではその変化は解らないが、常に傍にいる男鹿はそれに気付いていた。
だが機嫌の悪い原因も良くなった理由もやっぱり解らないので、触らぬ神に何とやら、ということにしてそれ以上追及はせずに着替えを再開する。

実際、ヒルダ自身もその理由を解っていなかった。
とにかく男鹿が誰かから「本命チョコ」を貰うのがものすごく腹立たしい。
だが、男鹿がそれを受け取らなかったことに少しばかり心が軽くなる。

ヒルダは棚に並んだ本の後ろに手を伸ばしながら、理解不能な己の感情に思い切り舌打ちをする。
男鹿はヒルダの機嫌が再び悪くなったと察すると、無言でベル坊を抱えあげ部屋から退散しようとした。

「男鹿、待て」

逃がすまじ、とばかりにヒルダはその背中に素早く声をかける。
この距離と状況で無視するわけにもいかず、男鹿は渋々と立ち止まり、ベル坊を背中にひっつけたまま振り返ってヒルダへと向き直る。
その間にヒルダはごそごそと本の後ろを漁り、前もって隠しておいた箱を取り出すと、片手ほどのサイズで綺麗にラッピングされたその箱をそっけなく男鹿へと突き出した。

「……何だよ」
「貴様へだ」
「………まさか、チョコか?」

この流れではさすがの男鹿もすぐに察して、目を丸くしてその箱を見つめる。

「この国ではこういう習慣があるらしいからな」
「あるっちゃあるが……」
「手作りだ。有難く食べるがいい」
「………手作り……?」

男鹿の目がさらに大きく見開かれ、それからものすごく怪訝な表情になってチョコを見下ろしている。
ヒルダはその態度に少々殺意を覚えたが、今ここで喧嘩になってしまっては、せっかく作ったチョコが台無しになってしまう。
チョコに意味は無いにしても、それなりに労力を費やした結晶なのだからゴミにはしたくなかった。

「普通に溶かして固めて飾っただけだ。毒など入ってはおらん」

男鹿は不審な顔のまま、ラッピングを剥がし箱の蓋を開ける。
中には、シンプルなハート型のチョコがコロコロとたくさん入っていた。

確かに一見すると普通のチョコだ。
ドロドロ沸騰していたり、「グゲゲゲゲ」とか啼き始めたりはしていない。
妙な匂いもしないしガスの発生もしていない。
どうやら本人の言うとおり、普通のチョコらしい。

「あー……、じゃあまぁ、ありがとう」

男鹿はそう答えて、蓋を閉じようとする。
だがその行動はヒルダの鋭い一声で遮られた。

「食え」
「……今から?」
「そうだ」

問答無用の命令に逆らえず、男鹿は再び蓋を開けるとチョコをひとつ摘まんで、クンクンと匂ったあと口の中に放り込んだ。
ボリボリと噛み砕き、飲み込む。
ヒルダはその様子を、いつもの表情を崩さぬままじっと見つめていた。

「……うまいか?」
「あぁ、うまい」

男鹿は素直にそう答えた。
見た目は普通だが味は最凶、そんな予想をしていたのだが、味もちゃんと普通だった。
普通に、うまい。
だから男鹿はもうひとつ取って食べた。

「うまいよ」

男鹿が自分のチョコを受け取り、食べて、うまいと言った。
ただそれだけのことだが、ヒルダは妙にうれしくなってしまう。

「そうか」

ヒルダは小さくそう言って、にっこり微笑んだ。
その笑顔に驚いている男鹿を置いて、さっさと階下へとおりる。

「おかあさま、夕食の準備手伝います」

機嫌の良いヒルダの声が聞こえてきて、ベル坊と共に部屋に残された男鹿は「何なんだあいつ」と呟いた。
そうしてボリボリと三つ目のチョコを食べたあと、ようやく着替えを再開してから同じく居間へと下りる。




男鹿がチョコを持って階下に降りると、ソファに座っていた美咲がめざとくそれを見つけた。

「あー、たつみ、貰ったのね」
「あぁ」
「ヒルダちゃん頑張って作ったのよ」
「あのなぁ姉貴、あいつに余計なこと教えんなよ」
「別にへんなこと教えてないわよ? 本命の相手には手作りチョコを渡すのよってことくらい」
「………」

美咲の説明の最中、男鹿はキッチンで夕食の支度を手伝っているヒルダとばっちりと目が合った。
お互いほんの一瞬見つめ合い、それからヒルダはフッと笑い、視線を外すと母親と並んで料理を再開する。

「おいしかったでしょ? いっこちょーだい」

美咲が笑いながら手を伸ばす。
ヒルダの後ろ姿を見つめながら、男鹿は「やらねーよ」と即答した。

「オレんだ」

背後に聞こえた男鹿の解答に、ヒルダは手を休めることなく満足げに微笑んだ。

愛だの本命だの、そんなものは知らない。
あのチョコにはそんな感情は入っていない。
ただ男鹿に他の女からの手作りチョコを食べさせたくなかっただけで、ただ男鹿に自分の手作りチョコを食べさせたかっただけだ。

認めたくはないが、確かに自分の中に存在する気持ちのカケラに今日触れた。
そのカケラがこれからどうなるかは自分でも解らなかったが、きっといつか答えは出るだろう。

ともあれ、こんな風にささやかではあるが幸せな気持ちになれるのなら、人間界のバレンタインも悪くない。

ヒルダはにっこり微笑んだまま振り返った。


「ヒルダ特製コロッケ、出来ましたよ!」


(了)



『甘いカケラ。』

バレンタイン話!
14日は過ぎたけどバレンタイン話!!
なかなか甘い男鹿ヒルにはなりませぬが。

2012/02/16 UP

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