男鹿はヒルダの手をつかんだまま、ズンズンと足早に教室に向かう。
その間も、廊下をすれ違う生徒たちから好奇の視線を嫌というほど感じていた。
女子生徒が歓声を上げ、男子生徒はうらやましげな愚痴やひやかしの声を漏らす、そんなものはすべて無視すれば問題ない。
だがさすがにしつこくてイライラしてきたが、一般生徒、しかも女子を殴って黙らせるわけにはいかないので、当初の計画通り無視するのが一番なのだ。

後ろに付いているヒルダは乱暴に手を掴まれて力のままに引っ張られているが、文句の一つも言わない。
いつものヒルダなら手を掴んだ時点でブーツで男鹿を踏み潰していただろう。
記憶の無いヒルダは、単純に男鹿と手を繋いでいるのが嬉しいのか恥ずかしいのか頬を赤らめつつも、自ら男鹿の大きな手を握り返していた。

とりあえず教室だ。
何はともあれ教室だ。

男鹿はぶつぶつと呟きながら足を進める。
教室にさえ入れば、そこは自分の縄張りのようなものだ。
まわりは不良だらけなのだから、うるさければ殴っちゃえばいい、というこれまた計画通りに行ける。
それに古市も来ているだろう。
なんやかんやと文句を言いながらも付き合いの良い友人だし、今現在の男鹿の結論よりも良い案を見つけてくれるかもしれない。

がらりと教室のドアを開け、男鹿はそのままの勢いで中に入り自分の席へと向かった。

「ほら、ここお前の席。授業なんざとりあえず座っときゃいいから」
「はい」

繋いだ手を離すと、ヒルダは名残惜しげに自分の手を見つめ、それから素直に椅子に腰を下ろした。
男鹿もやれやれとため息をつきながら、席につく。

「……ん?」

既に教室内には大体の生徒が揃っていた。
石矢魔の不良どもを集めたクラスのはずなのにこの出席率の良さは何なんだ、と男鹿は時々疑問に思っていたが、不良はサボるのも好きだが学校に来ること自体もどうやら好きらしい。
不良らしくサボって遊んでりゃいいのに、素直に制服を着て学校に来て、そうしてダラダラと遊んでいるのだ。
自称・不良ではない男鹿は、そんな不良たちの視線を感じてぐるりと教室内を見渡す。
何故かしんと静まっていて、だがすぐに彼らの表情がニヤニヤと笑うものに変わり、唐突に盛り上がり始めた。

「朝から見せつけてくれんなよオガヨメー!」
「ラブラブってやつですかー?」

この程度なら、やはり無視が一番だ。
男鹿は机の上で腕を枕に寝ることに決めた。
ヒルダは自分の席で緊張した面持ちで姿勢を正し、時折不安げに後ろの男鹿の様子をうかがっている。

「ちょちょちょちょちょ! 男鹿!!」
「あぁ?」

早くも寝そうになっていた男鹿の背中を、後ろの席の古市が高速で突ついて起こす。

「何だようるせーな」
「うるせーな、じゃねーよ! どういうことだ!! なんでお前とヒルダさんが仲良く手ぇ繋いで登校してんだよ!」
「…………色々、あんだよ」
「あれか! もう本当の夫婦になりましたーとかいう羨ましい展開か! 何かヒルダさんの雰囲気もいつもと違うし!! 初夜迎えましたーってアレか!!!」
「あーーーーー朝からうるせぇ!!!!」

問答無用の顔面パンチを古市に食らわせると、男鹿は面倒臭そうに頭を掻く。

「すぐ殴るのやめろ!!」

涙目の古市の抗議を無視して、男鹿は「あとで説明するから黙れ」と会話を無理矢理終わらせた。


その後、朝のホームルームも終わり、一限目もどうにか無事に終わった。
ずっとそわそわしていた古市は、休み時間になるやいなや再び男鹿を尋問する。

「おい、いい加減説明しろ!」
「あー、つまりな」
「あの……たつみさん」
「たつみさんっ!!??」

昨日の男鹿と同じような反応をして、古市は椅子から崩れ落ちそうになっている。
振り返ったヒルダはそれを戸惑いつつチラチラ見ながら、男鹿へと声をかけた。

「そちらの方は、お友達ですか?」
「あぁ」

元々ヒルダの言葉遣いは、「侍女」というだけあって丁寧と言えば丁寧だ。
だが今日のは明らかにいつもの口調と違う。
古市は訳が分からず、ただ男鹿とヒルダが手をつないで登校とかたつみさん呼びしてるとかヒルダの男鹿を見る目が何か色っぽいとか、そういうことで頭がいっぱいだった。
そんな軽く混乱している古市を男鹿は親指で指し示しながら、「キモ市だ」と紹介した。

「古市だ古市! あなたの古市ですよヒルダさん! てか何で今更自己紹介? ヒルダさんどうしちゃったんだよ」
「記憶喪失真っ最中だ」
「……マジ? 間に合わなかったのか」
「そーみてぇだな」

まわりで二人の会話を聞いていた不良共も、「記憶喪失」という非日常なキーワードにテンションが上がったらしく、また無駄に騒ぎ始めた。
ここにいる連中は少なくとも一度は男鹿かヒルダにこてんぱんにやられているのだが、それでもなおこうしてからかってくるのだから、勇気があるのか怖いもの知らずなのかそれともただバカなのか、能天気に笑っている。

「ヒルダっちゃーん! オレのこと覚えてるー?」
「アバレオーガなんか捨ててこっち来いよー!」

普段ならヒルダの視界にも入らないような雑魚キャラが、ヒューヒューと口笛を鳴らしながら声をかけてくる。
ヒルダは戸惑いつつも、静かに立ち上がった。
いつものであれば容赦ない攻撃が出ているはずなので、それを知っている不良共は思わず口を噤む。

自然と教室内の視線がヒルダに注がれる。
突然立ち上がったヒルダを男鹿が何事かと呆然と見上げていると、ヒルダは両手を体の前に会わせ、丁寧に一礼すると凛とした声で言った。

「たつみさんの嫁の、ヒルデガルダと申します。宜しくお願いいたします」

これまで周囲の人間は、ヒルダをオガヨメと呼んできた。
二人も面倒だからわざわざ否定はしなかったので、それは事実として受け入れられていた。
だが、こうして当人の口からその事実が告げられたことはこれまで一度も無い。
だからこの「たつみさんの嫁」発言に教室内のテンションがマックスになるのは、仕方ないことであった。
古市は今度こそ床に膝をつき、頭を抱えている。

「男鹿ぁぁぁぁぁぁてめぇヒルダさんの記憶が飛んでるのをいいことにヤったのか!! ヤっちゃったのかぁぁぁ!!!」
「記憶喪失の嫁ヤっちゃうなんて外道ー」
「男鹿くんマジ外道ーー」

ヘラヘラ笑いながら外道呼ばわりしてきた男共は当然拳一発で沈ませて、男鹿はまたもガシガシと頭を掻きむしる。

「ちょっと来いヒルダ!!」

ヒルダの腕を掴み、騒ぐ連中を放ってそのまま男鹿は教室を飛び出した。



屋上に出ると、ぜーはーと肩で息をしながら男鹿は「くそっ」と毒づく。

「あの……たつみさん」

ヒルダのか細い声を耳にして、男鹿ははっと気付いてようやく掴んだままだったヒルダの腕を解放した。
容赦なく握っていたのでおそらく随分と痛かっただろうが、ヒルダはやはり文句を言わなかった。
むしろ男鹿の前で申し訳なさそうに身を縮めていて、そんなヒルダを見ていると男鹿もようやく落ち着いてきた。

「……お前なぁ…」
「はい」
「大人しくしてろって言ったじゃん」
「ごめんなさい……でも、たつみさんのお友達なら、ご挨拶しておくべきだと思ったので」

確かにヒルダは何も悪くない。
ちゃんと大人しくしていたし、何より自分は男鹿の嫁だと信じ込んでいるのだから、それならまわりの人間にああやって挨拶するのも当たり前のことだろう。
だが男鹿にとっては、色々と爆弾を落とし過ぎであった。

「……もういーや。今日はここでサボるか」

男鹿は大きく息を吐いて、がしゃんとフェンスに寄りかかりズルズルと腰を落とす。
ヒルダもそれを真似て、男鹿の隣にちょこんと座った。

「たつみさん……怒ってますか」
「だから怒ってねぇって。別にお前は悪くねーんだし」
「……私は、以前の私とそんなに違うんでしょうか?」
「あ?」

思いつめた声のヒルダに、男鹿は思わずまじまじと見返した。
ヒルダは屋上なのに正座をして、膝の上でぎゅうと拳を握っている。
俯いて全身をこわばらせており、その緊張がこちらにまで伝染しそうなほどだ。

「たつみさん、私に対して何だかぎこちないから」
「……まぁ、いつもとは全然キャラ変わってはいる、けどな」
「……今の私は、嫌いですか」

顔を上げたヒルダは、まっすぐにじっと男鹿を見つめる。
妙に熱い目で見つめられて、男鹿は再びキャパオーバーで固まってしまう。

「今の私とでは、たつみさんは結婚しなかったんでしょうか」

じわりじわりとヒルダに詰め寄られ、男鹿はたらりと冷や汗を流す。

この状況は一体何なんだ。
顔が近い体が近い。
そんな目でこっち見るな。

また逃げ出そうとしたヘタレ男鹿だが、今回はそれは叶わなかった。
ヒルダが、男鹿の手を自分の両手でぎゅっと握っているのだ。

これまで、ヒルダのことを抱えあげたりおんぶしたり、今朝も手を繋いだりした。
だからヒルダの体が軽いこともあの強さのわりに細いことも、その肌が男の自分とは全く違い柔らかく滑らかなことも、男鹿は知っている。
それなのに、今この状況でこうして手を握られていることに男鹿は何故か一気に緊張していた。

「たつみさん……」
「……ハイ」
「記憶を失った私のことは、もう好きではありませんか」
「……いや……べつに………」

力で解決しない状況に弱い男鹿は、歯切れの悪い返事をする。
だが「もう好きではない」ということを一応は否定したので、ヒルダは少し嬉しそうに微笑んだ。

「たつみさん」
「…はい」
「私、頑張ります」
「な、何を?」
「記憶を取り戻すのもあるけど……。今の私のことを、以前の私以上にたつみさんが好きになってくれるように…頑張ります!」
「………」

不覚にも、何かキた。
男鹿は思わず赤面する。

ヒルダの顔で、ヒルダの声で、そういうかわいいこと言うんじゃねぇよ。

ヒルダに握られたのと反対側の手を、男鹿は伸ばす。
当の本人は無意識無自覚のその動作だったが、ヒルダは自分を抱き寄せるために伸ばされた腕だと解って自らその身を寄せる。
男鹿はヒルダの背中に腕をまわし、そのまま片手ですっぽり包むように抱きしめる。
首筋からふわりと甘い香りが漂ってきて、目を閉じた。
ヒルダも嬉しそうに笑って、男鹿の胸に頬を寄せる。

やっぱ細ぇ。てか胸でけぇ。

ぼんやりそんなことを思って、それから男鹿は唐突に我に返る。

オレ、何やらかしてんだ!!??

と同時に、屋上の扉が開いた。

「男鹿ーーー!!! もっとちゃんと説明しろーー!!!」

古市が必至の形相でそう叫びながら飛び込んできて、そうして一瞬にして固まった。
男鹿とヒルダも、突然の乱入者の登場に硬直する。
三人が身じろぎひとつしない状況で、古市はプルプルと震え始めた。

彼の眼前には、手を握り合い男鹿に抱きしめられているヒルダの姿がある。
それをまじまじと見つめたあと、古市はぎゅっと目を閉じて、ブツブツと呪文のようになにやら唱え始めた。

「いやいやいや嘘だありえない。男鹿とヒルダさんがあんなのなんてありえない。男鹿のくせにあんないい思いするなんてありえない。男鹿の分際でありえない。愛しのヒルダさんが男鹿に抱きしめられるなんてありえない。ありえない。全部幻だ幻覚だそうに決まってる」

そうしてそろりと目を開け、だが願い空しくなんら変わらぬ光景に古市はぶわっと泣きだした。

「男鹿の裏切り者ーーー!!! うんこ野郎ーーーーー!!!!」

子供のような捨て台詞を残して、うわぁぁんと泣きながら古市は登場と同様に騒がしく、その場から消えた。

「………」
「………」

二人は何も口を挟めず、一人で騒いで帰っていった古市を見送り、それからなんとなく体を離した。

オレさっき何した?と考え始めるとパニックになりそうだったので、男鹿は考えること自体を放棄した。
隣に座るヒルダはまだ嬉しそうに笑っているし、天気はいいし、古市のあとに誰も来る気配もない。
別に何も問題は存在しないんじゃないか、とさえ思えてくるような、穏やかな時間と空間だ。

「……ま、とりあえず…しばらくここでサボっとこうぜ」
「はい。…でも、授業とやらに興味はあります…」
「じゃ、昼から出るか」
「はい」

男鹿は両腕を伸ばして大きな欠伸をする。
それを見たヒルダは、足を崩して座ると「たつみさん」とはずんだ声で名前を呼んで、自分の太ももの上をぽんぽんと叩いた。

「ここにどうぞ」
「………」

抱きしめたことは発作的な何かだとして、じゃあこれはどうなんだ?と男鹿は自問する。
だが、それよりも眠かった。
戦ったり、頭を悩ませたり、とにかく疲れているのだ。
それを理由に男鹿は深く考えないことにして、素直にごろんと転がりヒルダの太ももに頭を乗せる。

なんか柔らかいしいい匂いするし、ヒルダが頭を撫でてくるものだから余計に気持ちが良い。

「……まぁ、どうせ記憶戻ったら忘れるだろ」

男鹿はこっそり呟いて、本能の赴くままに目を閉じた。


「……たつみさん、好きです」


ぼんやりとそんなヒルダの声が聞こえた気がしたが、男鹿はそのまま眠りに落ちた。


(了)




『前途多難な学校生活。』

さらにバブ139その後。
原作ではあっさり記憶戻っちゃったけど、やはり強烈な破壊力に変わりはありません。
チューとか何それ。
まだまだ書けそうですがこのシリーズはいったんおしまい。

2012/01/23 UP

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