朝の通学路を歩きながら、男鹿はちらりと後ろの方へと目をやる。
そこにいるのはヒルダだ。
両手で鞄を持ち、期待と不安に満ちた瞳で男鹿の少し後ろを歩いている。

絶賛記憶喪失中のヒルダにとっては、当然学校なんてものは未知なる世界だ。
学校とは、の説明は男鹿の母親によってされてはいたが、おそらく自分がどこに行くのかよく分かっていないだろう。
制服も男鹿家の女性陣に半ば無理矢理着せられたようなものだし、今現在もただ大人しく男鹿の後を付いてきている状態だ。

男鹿は苦い顔でその姿を見つめ、またこっそりとため息をついてから視線を正面に戻す。
正直、今の状態のヒルダを伴って学校に行くことは不安であった。
男鹿の少し後ろを歩く、という時点ですでに普段のヒルダらしからぬ行動なのだ。
いつもなら隣か、それとも偉そうに少し前を歩くか。
それがヒルダだった。
決して、こんな典型的な「ヤマトナデシコ」とでも言うような行動をする性格ではない。
それはヒルダを「オガヨメ」と認識している周りの人間ですら知っているようなことだ。
そのヒルダが、この状態だ。
異変に気づかれないわけがない。
古市はともかく、アホな男どもに面倒くさい声をかけられるのだけは回避したかった。

かといって家に置いていくわけにもいかない。
能天気な家族たちに何を吹きこまれるか分からないし、今のヒルダなら奴らの発言など素直に鵜呑みにしてしまうだろう。
だがその家族たちが学校に行けというのだから、その時点で男鹿に反論の余地は無い。

とにかくまずはヒルダの記憶が戻るまで大人しくしておこうと、男鹿は心中で決意する。

「あの、たつみさん」
「何だよ」

まだ慣れぬその呼び名だが、決意を固めた男鹿はきりりとした顔で返事をする。
ヒルダは若干緊張した声色で、「いいんでしょうか」と続けた。

「何が?」
「私がその、学校…とやらに行って、たつみさんのご迷惑になりませんか」
「……何で、そんなこと思うんだよ」
「だってたつみさん、なんだか怒ってるように見えます……」
「……別に怒ってはねぇけど」
「でも」
「あーもう大丈夫だって! お前はとにかく大人しくしてろ! オレがどうにかするから!」
「……はい」

何故か頬を赤らめたヒルダが、嬉しそうに笑顔を見せる。
男鹿はそんなヒルダの表情には気付かず、というか気付く余裕はなく、状況打破の案を悶々と考えていた。
だが元々こうやって考えること自体が苦手な男である。
本能のままに生きる男鹿は、最終的に「無視しよう」という結論を出した。

そーだよ、まわりに何か言われたって無視すりゃいーじゃん。
しつこかったら殴ればいーじゃん。

スマートかつ暴力的な解決法を見出し、男鹿は満足げに頷きながら足を進める。
そうして学校に到着すると、男鹿はまたヒルダに目をやった。

「ほれ、ここが学校だ」
「……大きいんですね。人もたくさん」
「まぁな」

今の自分にとっては初めての「学校」を前にして、ヒルダはごくりと唾を飲む。
男鹿はさっさと校門を抜け校舎へと向かってしまい、ヒルダは慌ててそのあとを追った。

解決法を見つけた男鹿はすっきりとした表情でいつものように歩いていたが、ふと違和感に気付いた。
まわりの生徒が、やけに自分たちを見ている。
もちろん、普段から男鹿は人目を集めている。
六騎聖とやりあったりだとか、裸の赤ん坊を連れているとか、不良でない一般の生徒でさえ男鹿の存在や名前を知っている。
くわえてヒルダがいれば、その目立つ容姿のおかげでさらに注目を浴びることになる。
それはいつものことなのだが、今の自分に刺さっている視線は何かが違う。

何だ?

男鹿は歩きながら首をかしげる。
背後のヒルダは言いつけどおり大人しくしているし、一見すれば記憶喪失なんてことには気付かれないはずだ。
裸のベル坊が男鹿の頭の上に乗っかっているのも平常状態だし、別に返り血を浴びているわけでもない。
ではこの落ち着かない視線の正体は何だ、と男鹿は考えて、ようやくいつもの自分たちと傍目に違う一つの事実に気付いた。

シャツの背中の裾あたりを、クンと引っ張られている感覚。
男鹿は立ち止まり、ゆっくりと首だけで振り返る。

後ろに立っているヒルダが、緊張のせいなのか、それともそれ以外に何かあるのか、顔を赤らめて男鹿のシャツの裾をそっと掴んでいた。

不良どものアホみたいなからかいなら、無視すればいいだけだった。
だが今、この状況の二人に送られる視線は一般生徒…特に女子のなんだか黄色い歓声が混じっている類のものだ。
彼らにとっては「旦那のシャツの裾を恥ずかしそうに掴む嫁」という状況なのだから、そりゃあ好奇の視線にさらされて当然だろう。

だからヒルダはこんなんじゃねぇんだって!!!

心の中で叫びながら、男鹿は思わずヒルダの手を払うように自分のシャツから外させた。
ヒルダはびっくりしたのか目を丸くし、それからあからさまに落胆した。
肩を落とし俯いて、小さく「ごめんなさい」と呟いている。
そんなにショックを受けると思っていなかった男鹿は、自分がものすごく悪いことをしたような気分になってしまい、だがかける言葉が思い浮かばずガリガリと頭を掻く。

その光景を見ていたまわりの女子生徒のひそひそ話は、男鹿の耳にも届いた。

「見た? 今の」
「旦那サイテー。奥さんかわいそー」
「振り払うとかナシよね」
「DVよDV」

むしろ普段DV受けてるのはこっちなんだ、と反論したかったが、もちろんそんな説明が受け入れられるはずもない。
今この瞬間の彼女たちの目には、「不良男鹿に拒絶され泣きだしそうな嫁ヒルダ」がしっかりと映っているのだ。
このまま置いて逃げようかとも思ったが、そうすればもっと最低呼ばわりされるだろう。
それは実際どうでもいいが、それよりも今目の前の半泣きヒルダを放って逃げることなど到底できはしない。

こんなしおらしいのはヒルダじゃない。
手を振り払っただけで泣きそうになるのはヒルダじゃない。

でも、ヒルダはヒルダだ。

男鹿は「あーーくそーー!!」と雄叫びをあげて、両手で頭をかきむしる。
ベル坊は既に背中に避難しており、男鹿の叫びにあわせて一緒に「ダー!」と無邪気な声をあげている。

そうしてキッとヒルダを睨むように見つめると、男鹿はその細い手を掴む。

「たつみさん」
「さっさと教室入るぞ!」

男鹿の選んだ道は、反論でも逃走でもなく「ヒルダと一緒に退却」だった。
ぐいと手を引っ張り、ズンズンと足を進め校舎へと向かう。
そんな「無事に仲直りして手を繋ぐ」二人の姿にまわりの生徒からのまた黄色い声が上がるが、もうどうでもよかった。

ヒルダの白い指が、ぎゅっと握り返してくる。
ドクドクと脈打つ心臓は早足のせいだと己に言い聞かせ、下駄箱を抜け廊下を走るように抜けつつ男鹿はちらりとヒルダを見た。
乱暴な足取りの男鹿に引っ張られている状態だが、それでも嬉しそうに頬を染めて笑っている。
先程のまでの泣きそうな表情はどこかへ行っていて、男鹿はほっと安堵する。


たとえ記憶を失っていようが、らしからぬ言動をしようが、とにかく泣き顔は見たくない。
いつもの不敵な笑みでも、今のやけにかわいい笑みでも、とにかく笑ってくれていればそれでいい。


手を繋いで教室に入ればまわりから何を言われるか、なんてことは、今の男鹿は全く考えていなかった。


(続?)




『前途多難な登校風景。』

朝の風景、の続き。バブ139のその後です。
原作の続き出る前に書いたから、展開違ってます。
まぁ妄想なんてそんなもの!

2012/01/22 UP

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