「学校?」
「そうよーヒルダちゃん。今日は家のことはいいから、学校行ってらっしゃい」
「そーそー。学校行けば記憶が戻るきっかけが転がってるかもしれないしね」

そうして男鹿家の女性陣に勧められるまま、ヒルダは訳が分からないうちに制服を着させられた。


いまだモゴモゴと朝食を食べている男鹿の前に制服姿で登場したヒルダは、恥ずかしそうにもじもじとスカートの裾をいじったりしている。
そのしおらしい態度はいつものヒルダならあり得ないもので、男鹿は小さくため息をついた。

ゴシック調の通常衣装はさすがに頭の奥で記憶しているのか何の疑問も持たずに着ていたヒルダだったが、学校の制服というのは記憶を失った今ではどうやら新鮮なものらしい。
リボンを正したり、スカートの裾を引っ張ったり、シャツの胸元を整えたり、頬を赤らめたままいそいそと忙しなく手を動かしている。

男鹿からすれば、制服姿はこれまで何度も見てきたものなので新鮮味も何もないはずだった。
外見だっていつものヒルダだ。
だが、中身が違う。
ヒルダであることは間違いないのに、記憶喪失というだけでどうしてこうもキャラが変わってしまうのか。
そしてキャラが変わっただけで、どうしてこうも「恥ずかしそうな制服姿のヒルダ」が新鮮に映るのか。

自分の脳味噌に舌打ちしつつ、男鹿は黙々と白米とおかずを口に運ぶ。
この日の朝食も、前夜に続きヒルダが作ったものだった。
記憶を失った結果、好転したものが一つだけある。
ヒルダの料理の腕前だ。
元々魔界料理ならば普通に上手いらしいので、その記憶を失った今、ヒルダの作る料理は人間向けの材料で人間向けの味付けで人間向けの調理法によるものになる。
不味いはずがない。
昨日のコロッケだって美味しかったし、今食べている朝食だって十分に美味い。
テーブルの端に置いてある昼の弁当も、中身は見ていないがおそらく美味いのだろう。

だが、美味しいコロッケを作るヒルダは、ヒルダではないのだ。
いつの間にかヒルダの殺人料理に慣れてしまっていることには気付かず、男鹿はどうやって記憶を戻せばいいのかひたすら頭を悩ませていた。

「あの……たつみさん」
「……あ?」

たつみさん、という呼び方にも、妙に背中がぞわぞわして慣れない。
男鹿は微妙な顔で返事をして、ちらりとヒルダに目をやる。
ドブ男と呼ばれたいわけではないが、ヒルダにさん付けで呼ばれるなんてあり得ないのだ。

「この、制服……どうでしょうか…?」
「どうって」
「似合ってますか…?」
「………」

ヒルダは上目づかいで、恥ずかしそうに小さな声でそう尋ねた。
そのまわりでは母親と姉がニヤニヤと面白そうに笑っている。
彼女たちにとっては新婚夫婦のイチャイチャでも見て楽しんでやろう、というところなのだろうが、男鹿からすればそんなもの見せつけてやる義理はないし、そもそも夫婦ではないのだ。

男鹿が返事をためらっていると、ヒルダは露骨に寂しそうな顔になる。
その表情を見てまた言葉に詰まる。
決して似合っていないわけではない。
ヒルダは男鹿から見ても美少女の部類に入る容姿だし、短いスカートから伸びる細い足も若干窮屈そうな胸元も、男のみならず通りすがる女の目をも引くレベルだ。
だからこそ、すぐに返事が出来ないでいた。
素直に「かわいい」だの「綺麗」だの言ってしまえば、こちらのキャラすら崩壊しかねない。

「………あー、あの」
「はい」
「に、似合ってるから、そのー、心配すんな」
「……はい」

妙な気恥かしさを隠しながら男鹿がどうにか返事をすると、ヒルダはパッと顔を明るくして微笑んだ。
一瞬その笑顔に見惚れ、だがそのことに気付いて男鹿は慌てて誤魔化すように白米を口にかっこむ。

自分の作った朝食をガツガツと食べる男鹿の姿を、ヒルダは嬉しそうに見つめている。
その視線を感じていた男鹿は気付かぬふりをして、ガシャンと茶碗と箸をテーブルに置くと「ごちそうさまでしたっ!」と叫んだ。

「いってきます!」

そのまま鞄と弁当をつかむと、逃げるように玄関へと向かった。
だが両方の靴を履いてドアノブに手をかけたところで、動きを止めくるりと振り返る。

「ヒルダ!」
「は、はい!」

名前を呼ばれ、居間でどうしたらいいか分からず立ち尽くしていたヒルダが小走りで玄関へとやってくる。

「行くぞ」
「え」
「学校。行くんだろ」
「はいっ!」

慌てて居間に鞄を取りに戻るヒルダの後ろ姿を、男鹿はじっと見つめる。

はたしてこの状態のヒルダと登校してどうなるか、それは分からない。
いくらアホな不良の集まりでも、ヒルダの変化にはやがて気付くだろう。
どう説明するか、というかもう説明するのも面倒くさい。
だからと言って放置しておいたら、また自分の口出せぬ状況に話が進んでしまいそうなのだ。

「まぁ…どーにかなるだろ」

楽観視してみたものの、ヒルダのキャラは完全に変わっているし、自分たちを夫婦だと思っているし、それにそんなヒルダを見ていると自分もなんだか妙な気分になってくる。
このままの流れに任せていては、ヒルダの記憶が戻ったときに取り返しのつかない状況になりかねないし、正直自分をどこまで抑えられるかすら怪しくなってくる。

男鹿はブンブンと首を振り、「早くしろー」と声をかける。
そうすると飼い主の元に駆け寄る子犬のように、嬉しそうなヒルダが玄関へと駆けてくる。

「あの……たつみさん」
「あ?」
「お義姉さまが……」
「姉貴が何だよ」
「新婚の夫婦は……その、行ってらっしゃいの…キ、キスをするものだと」

顔を真っ赤にしたヒルダが、消え入るような声で呟き、俯いた。
男鹿は眩暈を覚え、がっしりとヒルダの両肩を掴む。
赤い顔で身を固くするヒルダをまっすぐ見つめて、男鹿ははっきりと言い放った。

「お前も出るんだから、行ってらっしゃいじゃないだろ」
「……そういえば、そうですね」
「ほら行くぞ」

きょとんとするヒルダに背を向け、男鹿は家を飛び出した。

ほんと、押し倒すぞこのやろう

男鹿は口には出さずに毒づいて、深く深呼吸した。

前途は、多難だ。


(続……?)




『前途多難な朝の風景。』

バブ139妄想。
記憶喪失ヒルダさんの破壊力マジパネェっす。

2012/01/20 UP

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