犬。








 「あ、ゾロ。犬だ」

 「あぁ」


買い物に出た町の通りの片隅で、
小さなダンボールの中にうずくまっている犬に気づいたのは、
ナミよりもおれが先だった。

遅れて気づいたナミは案の定、傍まで走り寄り、しゃがみこんでその犬を撫でる。


 「捨て犬、みたいね」

 「だな」





















子供の頃、犬を飼っていた。



白い小さな犬は
いつもおれの傍に居て、
道場はもちろん、風呂にも便所にもついてきた。
物心つく前から傍に居た犬を、
おれは兄弟のように感じていたし、
その犬が好きだった。




まだその頃のおれは
死について何の感情も抱いてはいなかったし、
死に直面したこともなく、
死というものが存在することすら、実感していなかった。




















腹に大きな腫瘍のできたその犬は、
ある日突然、弱った。

苦しげな呼吸を繰り返し、夜中には発作的にキャンキャンと鳴き声をあげた。
そのたびにおれは布団から飛び起きて、その犬の背中を撫でていた。

食事もロクに摂らず、当然尿も便も出ない。



ただそこに居るだけのその犬に、
現実的な死が迫っていた。


それは誰の目にも明らかで、
でもおれはそれを認めたくなかった。







おれが認めようが認めまいが、止める事などできないのに。









朝起きて、その犬が生きている。

ただそれだけのことに、おれは必死にしがみついていた。













そうした日々が1週間続いたあとの、ある夜。

その夜の状態は一段と酷く、
起き上がる事はおろか、顔を上げることもできずに
その犬は布団代わりの布に転がって、浅い呼吸を繰り返していた。







もうすぐこいつは死ぬ。



おれははっきりと感じていた。







だからその夜は、自分の布団に行かなかった。

犬の傍に座り体を撫でながら、ただ眺めていた。

誰にも止めることのできない現実が、すぐそこに迫っていた。










日付が変わってしばらくたってから、
突然、その犬はヨロヨロと立ち上がり、おれの膝元へとやってきた。



動くなと、言いたかった。
寝ていろと、言いたかった。

結局おれは何も言わなかった。


それがこいつにできる最期のことだと、分かっていたから。





今にも倒れそうになりながらおれの膝にやってきたその犬を抱きしめて
ゆっくりと布の上に戻し、また体を撫でた。



そして最期に大きく息を吸ったその体が痙攣し、
体中から空気が抜けたかのように小さくなった犬は、死んだ。









ガラスのように透きとおって綺麗だった目は、一瞬で濁った。

体はあっという間に硬くなった。










抱きかかえると、その体は時折痙攣した。





まだ動くのに。

まだ暖かいのに。



どんどんと硬く、そして冷たくなっていくその体に、もう命は入っていない。









頬を伝う涙を拭うことなど、考えもしなかった。




























 「ねぇゾロ、連れて帰っちゃダメかな」


ナミは犬の頭や耳元を撫でながら、隣に立つおれに言った。


 「船で飼う気か」

 「ダメ?」

 「ダメだ」


きっぱりと言い放ったおれに、ナミはむっとした表情をする。


 「何でよ」

 「狭い船の上で、犬が満足すると思うのか」

 「だけど・・・」


ナミは名残惜しそうに犬を抱きかかえる。


 「あそこのガキがこっち見てるぜ、飼いてぇんじゃねぇのか」

 「え?あ・・・・」




少し離れたところで、5,6歳の少女が羨ましそうにこっちを見ていた。



ナミは犬を抱いたまま、その少女の元へと歩いていった。



 「この子、飼いたいの?」

 「・・・・うん!」

 「お母さんは?」

 「お姉ちゃんたちが置いてったら、いいよって」

 「そっか。じゃあ、あなたの家族にしてあげて?」


ナミは微笑み、少女に犬を抱かせる。


 「いいの?」

 「うん」

 「ありがとう!!!」



少女は満面の笑みでぺこりと礼をし、
その子犬を抱いて、傍の店先にいたらしい母親の元へと走って行った。






 「・・・優しそうな親子だね」

 「そうだな」


母親は去り際にこちらに礼をしていき、少女は笑顔で時折振り返る。
ナミも礼をかえし、少女に手を振る。


 「あそこなら、あの子もきっと幸せになるよね」

 「あぁ」
















 「・・・ねぇ、ゾロ、犬嫌いなの?」

 「あぁ?何で」

 「だって、飼いたくなさそうだったから」



船へ戻る途中、ナミが聞いてくる。



 「・・・嫌いじゃねぇよ」

 「そうなの?」

 「ただ、手一杯でな」

 「え?」






守るべきものの死に、あの時は耐えられなかった。


今はもう、
親友の死にも、身内の死にも、そして戦った相手の死にも、面してきた。
死はおれにとってはもう現実であるし、
おれ自身がいつ死んでもおかしくないような生き方だとも、自覚している。



多くの死を見てきて、死というものには慣れた。
だが同時に、死なせたくない大事なものが増えてしまった。

今のおれは、守るべきものをそう簡単に死なせるようなことはない。
だがそれでも、止められない死に面したとき、
果たして今のおれは、どれほど耐えられるだろうか。


まだまだおれは、多くのものを抱えられない。









 「お前らで手一杯なんだよ」

 「ちょっと、私たちを犬扱い!?何よそれ!!」



守りたいものが多すぎて。

2005/06/22

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