乗。
駅を出てから2つ目の停留所。
それが、ナミがいつも使うバス停だった。
混むのがイヤだから通学ラッシュの時間よりは少し早く、毎朝変わらぬ時間に乗り込んで、
ゆらゆらと20分と少し揺られて、いつもと同じように学校前で下りる。
3年もそれを繰り返せば、同じバスに乗りこむ乗客の顔も大体決まってくる。
いつも眠そうに俯いているOLや、仲良く連れ添った老夫婦。
高校の少し先にある大学に通っているらしき大学生。
それから、メガネをかけて書類に目を通すサラリーマン。
毎朝の、変わらぬ光景。
ただ帰りは別だった。
学校の用事があったり、残って勉強をしたり友人たちと遊んだりすればバスに乗る時間は毎日バラバラになる。
時間に寄っては朝に見かけるOLや大学生の顔があったりもするが、
それに気付くだけでナミにとっては特に気にするような事ではなかった。
ある放課後、うっかり担任に捕まってプリント整理の手伝いに任命されてしまい、
大学受験を控えた生徒に何をさせるのか、と文句を言ったのだが結局最後まで手伝ってしまった。
結果、ナミはいつもよりも何本も遅いバスに乗って帰るハメになった。
校門を出てバス停で待つ間、あたりに人影は無くしんとしている。
こんな時間に帰ることはほとんど無く、何となくナミはその静けさに不安になったが、
それも一瞬ですぐに明るい光と共にバスがやってきたので足早に乗り込んだ。
中に入るとナミはいつもと同じ右端、後ろから3番目の席に座った。
車内には数人の乗客しかおらず、これからどこかに出かけるのであろう女子大生2人と、酔い潰れている中年のサラリーマン。
それからもう一人。
毎朝出会う、サラリーマン。
席へと向かう途中、ナミは少し足をゆるめてそのサラリーマンをちらりと見下ろした。
この日もメガネをかけて、薄い書類らしきものをめくっている。
目的の席へと腰を下ろし、ナミは3つ前の席に座るサラリーマンの後姿をじっと見つめた。
朝はそれなりに混雑しているし、こんなにまじまじと人を観察したことはなかった。
だが彼のことは何故かよく記憶に残っている。
特徴的な、緑の髪。
なかなか見られないその色は、だがその男にはよく似合っていた。
年はいくつくらいだろうか。
ナミは暇つぶしのために、その男を見つめながら一人で考えていた。
まだそう年では無い。
メガネのせいで年に見えるのかもしれないが、おそらくは30代後半か40代前半だろう。
肩幅は広くがっしりとしていて、きっと学生時代はスポーツをしていたに違いない。
スーツ姿とはいえ体がたるんでいるようには見えないので、もしかしたら今も何か運動をしているのかもしれない。
先程チラリと見た彼の顔はくっきりとした二重で、10人並以上、男前と言っても良い。
メガネをかけて難しそうな書類をめくる姿は、仕事のことはよく分からないけど『デキる男』というイメージを持たせる。
左手は見えなかったので既婚かどうかは分からないが、おそらく職場で彼に憧れる女は多いんじゃないだろうか。
そこまで考えて、ふとナミは自分を見ている視線に気付いた。
前の停留所で女子大生は降りていたらしく、車内に話し声はなかった。
だが物音に振り返ると、さっきまで一番後ろの席で死んだように眠っていたサラリーマンが起き出して、
おぼつかない足取りでナミの方へと向かってきていた。
ナミが不審な顔を向けると、その酔っ払いサラリーマンは舐めるような目でナミを見た。
一人掛けの席に座るナミの逃げ場を封じるように前後の背もたれに手をついて、ナミの顔を覗き込んでくる。
「お嬢ちゃん、カワイイねぇ?」
酒臭い息に顔をしかめつつ、ナミは無視することにして顔を背け暗い窓の外に目をやった。
窓ガラスに反射して映る酔っ払いは、ナミのその態度に下品な笑い声を上げる。
「お客さん、席に戻ってください」
運転手が正面見たままそう声をかけるが、酔っ払いが素直にそれを聞くわけは無い。
男はまるで漫画に出てきそうな変態面をさらして、ついにはスカートの裾から覗いているナミの膝に無遠慮に触れてきた。
「きゃ!!」
さすがにナミも声をあげ、酔っ払いの手を振り払う。
「ちょっと! 何すんのよこの変態!!」
キッと睨み上げると、上機嫌だった男は途端に顔色を変えて睨み返してきた。
酔っ払いとはいえ大人の男の迫力に、思わず気圧されたナミは言葉に詰まった。
「まったく…最近のガキは……年上に対する礼儀がなってねぇなぁ…」
そう言いながら、酔っ払いはふらつきながらもナミへと向かって手を伸ばしてきた。
ナミは声を出せず、思わずぎゅっと目を閉じて窓ガラスに身を寄せ体を強張らせた。
「いでででで!!!!」
酔っ払いの男の腕が体に触れることはなく、ナミはゆっくりと目を開けた。
先程まで強気だった酔っ払いは、一人の背の高い男に後手に腕をとられて悲鳴を上げていた。
「ガキに説教できるような人間か、アンタが」
酔っ払いの腕を捻り上げたまま、男は低い声でそう言った。
緑色の髪をしたその男は、ちらりとナミを見て「大丈夫か」と声をかけた。
呆然としていたナミは、はっと気付いて慌てて頷いた。
合わせたようにバスがブレーキをかけ、停留所に止まった。
緑髪の男は酔っ払いを拘束したまま、前側の出口まで引っぱっていく。
運転手も席を立って一緒になって、ぶつぶつと愚痴りながら抵抗する酔っ払いを外に連れ出していく。
「あ、あの!!!」
ナミは思わず立ち上がり、声を上げる。
緑髪の男はバスから降りる直前で立ち止まり、ちらりとナミを見て素っ気無く言った。
「ガキがンな短いスカート履いてるからだ」
「………なっ」
「長くしろ」
ぴしゃりとそう言い捨てて、男はそのまま降りて行った。
「…………」
呆然と立ち尽くすナミに、戻ってきた運転手が「大丈夫でしたか」と声をかける。
だがナミはドアを見つめたまま、反応することができなかった。
「………お礼も」
言ってないのに。
知らぬ間に動き出したバスによろめいて、ナミは力無く椅子に腰を下ろした。
ガキだって。
スカート、長くしろだって。
普通の状況なら、こんなことを見ず知らずの親父に言われてはムカつく以外何でもない。
それなのに。
かっこいいと思ってしまった。
いくら助けられたとはいえ、私って親父好きだったのかしら、と火照り始めた頬を押さえながらナミは呟いた。
翌朝。
いつもの時間のいつものバスに、ナミは乗り込んだ。
車内には相変わらずいつも見る顔があって、そこにはあのサラリーマンの姿もあった。
ナミは思わず頬を染め、それから前髪の乱れを片手で直しながらその男に近づいた。
「おじさん」
「………」
隣に立ちそう声をかけると、男は書類から目を離しナミを見上げた。
「昨日はありがとうございました」
「………どういたしまして」
昨日のことを思い出すかのようにしばらく無言だった男は、素っ気無く答えてすぐにまた書類へと目を落とした。
「名前教えてください」
「…何で君に教えなきゃいけない?」
「じゃないとずっとおじさんって呼びますよ」
「………」
「ねぇおじさん、名前教えて」
「……ゾロ、だ」
「ゾロ。 いい名前ですね!ゾロって呼んでいいですか?」
ナミはそう言って、にっこりと微笑んだ。
ゾロはちらりとその笑顔を見上げ、親指でくいっとメガネのズレを直した。
拒絶はされなかったので、ナミは了承と判断してゾロと呼ぶことにした。
「ねぇゾロ、昨日のバス停って降りる場所じゃないですよね? 朝は私より先に乗ってるし」
「……あぁ」
「ごめんなさい、面倒かけて」
「君が謝ることじゃない。 あの酔っ払いのせいだろ」
「まぁそうだけど。 あのあと大丈夫でした?」
「あぁ、交番連れてったからな」
ナミが話しかけるのに、男は素っ気無いとはいえ会話はしてくれるが書類から目を離すことはなかった。
それが少し寂しくて、ナミはいっそそれを取り上げてやろうかと思ったが、
さすがにそこまでする権利は無いと分かっていたので、むぅと口を突き出すだけでささやかな抗議とした。
ナミが無言になり会話が終わったが、男は気にすることもなく時折メガネをかけなおし書類をめくっていく。
もっと、何か何でもいいから、話したい。
自分の欲求に素直になることにして、ナミは再び口を開こうとした。
だが無情にもバスは学校前に着いてしまい、開かれたドアを恨めしげに睨みながらナミは吊り輪から手を離した。
「バイバイ、ゾロ」
「………」
「また明日ね」
ゾロは一瞬顔を上げただけで、返事はしてくれなかった。
バスを降り、走り去るのを見送ったナミは、
明日のこの時間にゾロが同じようにバスに乗ってくれるか、ふと不安になった。
ただ偶然居合わせた車内で変態を退治しただけで、妙な女子高生に懐かれる。
自分でいうのも何だが男受けする容姿は持っているので、大抵の男なら迫ればオチる…はずだった。
だが人の好みは十人十色、ゾロにとってはただの迷惑なガキでしかないかもしれない。
もしかしたら明日からは、面倒だと避けられて時間帯をズラされてしまうかもしれない。
(もし、居たら)
もし、明日も彼が同じバスに乗っていたら。
(きっと運命だわ)
ナミは心中でそう呟いて、校舎へと入って行った。
そして翌朝。
緊張しつついつもの車内へと足を入れたナミは、そこにゾロの姿を見つけて思わず声を上げそうになってしまった。
心臓の鼓動を早め、昨日と同じように隣に立って「おはよう」と声をかけた。
いつものようにメガネ姿のゾロはちらっとナミを見上げて、「おはよう」と返してくれた。
ただそれだけでも、嬉しかった。
その日以来、ナミは毎朝ゾロの後ろに座り話しかけた。
ゾロはいつも素っ気無くはあってもきちんと返事をしてくれて、バスの時間を変えることもなかった。
***
「ねぇいつもこんな早い時間に会社に行くの? 社会人ってそんなもの?」
「これより遅いと学生の集団で混むからな」
「なるほど、私と同じね」
「…そっちこそ、早く行って暇じゃないのか?」
ゾロの方から話しかけてくれたことが嬉しくて、ナミは上機嫌で答えた。
「先生が図書館開けてくれるから、本読んだり勉強したり」
「そらマジメだな」
「でしょ、褒めて!」
ナミはそう言って立ち上がり、後ろの席から身を乗り出し自分の頭を指差しながら首をかしげる。
一瞬ゾロは目を丸くして、それからくっくっと笑った。
「えらいな」
そう言って、左手を伸ばしてナミの頭をガシガシと撫でた。
思わぬその行動に、ナミは一気に顔を赤くした。
子供扱いされているのは気に食わないが、突然の接触に頭がパニックになっていた。
腰が抜けたように椅子に座り、頬の火照りが治まるのをしばらく待つ。
その間に、ちらりと見えた左手の薬指を思い出す。
ガバリと立ち上がり、ゾロの頭をバシバシと叩く。
「何だ」
「ゾロ、ゾロ、結婚してるの!?」
「いや、だいぶ前に別れた」
「………じゃあ、彼女…?」
「今はいない」
「でも、指輪……」
ナミが呟くと、ゾロは思い出したかのように書類を持つ自分の左手を見下ろした。
「あぁ……周りが再婚だ何だ五月蝿いからな、指輪してりゃ突っこまれたり声かけられたりしねぇだろ」
「……何かモテ男の発言ね…まぁ結婚してないならいいや」
ゾロの年なら結婚していようがいまいが、声かける女はかけてくると思うけど、と呟くのはやめておいて、
ナミはとりあえずは安心して椅子に腰を戻した。
「おれが結婚してたら何か問題あんのか」
「困るわよ、不倫とかヤだし」
「………」
「私、ゾロのこと好きだから」
「…………」
後頭部しか見えないせいで、ゾロがどんな反応をしたかはナミには分からなかった。
だが即座に発言を否定されたりバカにされたりしなかっただけ、良しと思うことにした。
***
「ねぇゾロ、いっつも何か仕事の書類見てるのね」
「まぁな」
「バスの中でまでそんなことしなくてもいいじゃない、つまんない」
「学生は学生らしく勉強でもしろ」
「残念、私はもう推薦で合格決まりましたー」
自慢げにそう言って、2本の指を立ててゾロの視界に入るように突き出した。
ナミの仕草にゾロは苦笑して、書類を膝の上に置いた。
それが嬉しくて、ナミはえへへと笑った。
「どこの大学なんだ?」
「東青」
「へぇ、おれの後輩だな」
「え、そうなの? じゃあ色々教えてよ先輩!」
ナミはゾロの後ろの席で、前の座席によりかかったままゾロの頭をつんつんと突付いた。
首を捻って振り返ったゾロは軽く睨みながらナミの指を払い、溜息をついた。
ナミはクスクスと笑いながら、突付く指を引っ込めた。
「あのなぁ、おれが卒業したの何年前だと思ってんだ」
「二十年?三十年?」
「…そこまで行かねぇよ」
「あら失礼」
再びゾロの頭を突付きながら笑って言うが、ゾロはもうそれを振り払わなかった。
「…あの大学なら、また4年間このバスか?」
「うん、下宿する距離じゃないし」
前の座席に両腕をついて、ゾロの頭のすぐ横でナミは喋る。
「…また毎朝顔合わせることになるかな」
「大学なら今より遅くていいんじゃないのか」
「……いいの、早く行くから」
「………」
「だって、そうじゃないとゾロが会社に遅刻しちゃうじゃない」
図々しくそう言ってみると、ゾロはチラリと横目でナミを見たが何も言わなかった。
ナミは少し腰を浮かして、ゾロの顔を覗き込む。
「寝坊しないでね」
「……そっちこそな」
ゾロの答えにナミは目を見開き、それから頬を染めて笑って、
ねぇゾロ、
今度は平日の、制服とスーツ姿じゃなくて、
お休みの日に逢おうよ。
明日の朝はそう言ってみようと、心に決めた。
07/11/03 UP
『かなり年の差のあるゾロナミ、ゾロが年上』
オプションでメガネつけてみました(笑)。
かなり年上、ってことやったんで、
本当はもうおじいちゃんレベルにしようかと思ったんですが…いかんせん私の腕が無く(笑)。
40前後の働き盛りの年になりました、結局。
でもこの年の男って若いんだか年なんだかよく分かりませんね。
ゾロの指輪についてはこれからナミさんはまた悩むんでしょうけど。
まぁそれはそれで。
何かやっぱり微妙にくっつかずに終わってしまったなぁ…。
こんなんで許してください、真牙さん!
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