錯。







 「ゾロー? …ってまた寝てる…」



甲板で大の字になっている男を見つけて、ナミは盛大に溜息をついた。




部屋の掃除を手伝わせようと探していたのだが、案の定昼寝の真っ最中のようである。

とりあえず蹴り起こそうかしら、などど物騒なことを考えつつナミは足音を消して近寄った。
ドカドカと歩いたところでこの男は目覚めもしないだろうが。


これでも剣士なのかと疑ってしまうほど、ゾロは熟睡していた。
ナミは傍にしゃがみこみ、じっとその顔を覗き込む。




 「………まぬけ」




返り血を浴びて鋭い眼光を放つかと思えば、こんな風に大口を開けて寝こけたりする。
全く不思議な男だ。

ナミは蹴り飛ばすのも忘れてその顔を見つめていた。


よくよく見れば、悪い顔ではないな。

ふとそう気付いて、黙っていればそれなりにモテるのではないかとも思った。

そう、例えばもっとちゃんとした服装をして、腹巻なんかも外して、
物騒な刀を脇に置いて、眉間の皺をどうにかして、
それからルフィたちといるときみたく、あの少年のような笑顔を見せたりしたら。


脳内で【ロロノア・ゾロ改造計画】を練っていると、ゾロがモゴモゴと何か呟いているのが聞こえた。


ナミは首をかしげ、床に手をつき体を屈めた。
耳をゾロの口元に近づける。



 「………」

 「……なに?」



確かに何を言っているのだが、如何せん寝言なので聞き取れない。
ナミはいったん顔を上げて、また耳を寄せた。

その瞬間。


ゾロの太い腕に捕らわれた。



 「あっ」



視界が急速に動き、焦点が定まらない。





 「………ちょ、」



ゾロに抱き締められていると自覚したのは、それから数秒経ってからだった。

ゾロの首筋が、ゾロの耳が、ゾロの頬が、自分に触れている。
鍛えられたその腕にきつく抱き寄せられたまま動けない。
胸と胸が振れ合い、ナミは自分の心臓の音がいつもの倍の大きさで聞こえる気がした。



 「……この、バカ!! 起きろ!!!」



耳元で怒鳴ってじたばたと暴れるが、ゾロは一向に起きる気配を見せなかった。
何とか体をよじり、その拘束からほんの少しだけ解放される。
上体を、と言っても頭だけをほんの少しだけ離すことができた。

それはそれでゾロの顔を至近距離で見ることになってしまい、ナミはカッと顔を赤くした。



 「起きなさいってば! ゾロ!! 腕を――」



ナミの目の前で、ゾロはうっすら目を開いた。
叫びながらようやく起きたかとナミが安堵したのは一瞬の間だけだった。

体を羽交い絞めにしていたその手は、今度は首のあたりにまわされてナミは一気に引き寄せられた。
声を上げる間も、もちろん抵抗する間もなかった。



ゾロにキスされていると気付くのに、今度はもっと時間がかかった。














昼食の時間、何故か顔に青痣を作り鼻にティッシュを詰めて現れたゾロを見て、ルフィたちは大笑いした。



 「どーしたんだよゾロ、その顔!」

 「うっせぇな」



ケラケラ笑うルフィを睨みながら、ゾロは赤く染まったティッシュを外してゴミ箱に放った。
スンと鼻をすすって、ガタガタと乱暴な音を立て自分の席に座る。



 「誰と喧嘩したんだ? ナミか?」

 「知らね」

 「知らねぇって何だよ」

 「起きたらこうなってたんだ」



ウソップの問いに、ゾロは素っ気無く答える。
チラリと隣を見るが、いつもナミが座るそこには誰も居なかった。

何だそりゃ、と再びルフィたちは腹を抱えて笑う。
だがサンジだけは冷たい目でゾロを睨み続けていた。




 「おいエロマリモ」

 「……あぁ?」



いつもの調子で返事をしたゾロだが、サンジの普段とは違うドス黒いオーラに気付いて口を閉じた。
ウソップらもそれに気付いて、キッチンの中はしんと静まり返る。



 「何だ、エロコック」

 「それやったのはナミさんだ」

 「……へぇ」

 「殴られる理由をお前は分かってるか?」

 「……てめぇは知ってんのかよ」

 「あぁ」

 「ほー、そりゃ是非とも教えてもらいてぇもんだな」

 「……分かってねぇんだな?」

 「身に覚えが無ぇ」

 「じゃあ教えてやるよ……」



サンジからさらに真っ黒なオーラが漂い始め、ルフィたちは首をすくめて固まったまま状況を見ていた。
ゾロだけはいつもの不敵な笑みを浮かべたまま、サンジを見返す。



 「てめぇはさっきな…」






 「ナミさんにキスしたんだよ!!!!!!!」






鬼の形相のサンジはそう叫び、その右足が空気を切り裂いた。

間一髪でそれを避けたゾロは、ギロリとサンジを睨む。
ルフィたちは身を屈めつつ、己の皿の料理をしっかりと食べながら2人の様子を見守る。



 「おれがいつ」

 「さっき! 甲板で!!」



ヒュヒュヒュと鋭く鳴るサンジの蹴りをかわしながら、ゾロは眉間の皺を深くした。



 「覚えが無ぇ」

 「何だと!! 余計タチが悪ぃ!!!!」



ルフィですら『切れちまうんじゃないか』と心配するほどにサンジは血管を浮かび上がらせる。
対照的にゾロは冷めた表情でサンジの攻撃を流しつつ、甲板でのことを思い出そうとした。


確かに今日は甲板で昼寝をしていた。
その最中に誰かが近づいてきたような気もしたが、誰だったかは覚えていない。
それがナミだったと言われれば、確かにその声を聞いた気もする。





 「……知らねぇ」

 「知らねぇ、で済むかこのエロ剣士がぁーー!!!!!」


ゾロは刀の鞘でサンジの蹴りを受け止めた。
ギリギリと刀と足を震わせながらどちらも退かず、睨みあう。



 「ナミさんがこの場に居ねぇのはてめぇのせいだぞ!! 謝ってこい!!」

 「何でてめぇにンなこと言われなきゃなんねぇんだよ」

 「ナミさんの貞操を奪いやがって何だその態度は!!」



キンと音を立て、はじかれるように2人は離れる。



 「覚えてねぇモンは覚えてねぇ」

 「ナミさんにキスしといて覚えてないとは何て野郎だそれでも男か貴様!!!」

 「覚えてねぇモンはしたうちに入んねぇよ」

 「贅沢なこと言ってんじゃねぇぞ!!!



サンジの言葉に半分羨望が混じりつつあったが、誰もあえてそれには突っこまなかった。



 「事故みてぇなモンだろ、別におれは何とも思わねぇ」

 「てめ……!!」



不遜な態度のゾロに、サンジは口元を引きつらせる。
それから再び蹴りを繰り出そうとしたが、人影に気付きそれをピタリと止めた。




 「……ナミさん!」

 「……」



ゾロを含め他のクルーも気付いて、キッチンの入り口に立っているナミを見た。

ナミは冷めた目でゾロを睨んでいた。




 「………」

 「覚えてないってわけ」



氷のように冷たいその声色に、ウソップたちは思わず姿勢を正した。
サンジでさえも蹴り上げた足を下ろし、気をつけの姿勢になる。



 「………」

 「私とキスしたことなんか、どうでもいいってこと」




その場にいた人間は全員、ナミが怒鳴りゾロを殴りつけるだろうと思っていた。
もしくはクリマ・タクトを組み立てて雷撃を落とすだろうと。

だがナミはどちらもしなかった。



ナミは、ただ唇を噛んでぽろりと涙を零した。




 「ナ、ナミ」

 「ナミさん…」



ルフィやサンジは冷や汗をかき名を呼ぶが、ナミはボロボロと大粒の涙を流して、拳を握っていた。



 「あ、謝れゾロ! とりあえず謝るんだ!」

 「そうだぞ! ナミを泣かすな!!」

 「この強姦魔が!!」



ルフィらは慌ててゾロを説得しようとするが、ゾロは相変わらず無言のまま立ち尽くすナミの姿を見つめていた。
だがその説得に応じる前に、ナミはクルリと向きを変えてキッチンから出て行った。



しんと静まってその後姿を見送ったルフィらは、ガバリとゾロに向き合ってぎゃーぎゃーと責める。
ゾロは額の血管を浮かび上がらせながらそれを聞いていた。
その中で、サンジが一際大きな声をあげた。



 「ナミさんが泣いた理由を考えろっつってんだこのバカヤロウ!!!」



それを聞いて、ウソップはきょとんとした顔を見せる。



 「え、それはアレだろ、ゾロにムリヤリ…その、されたから」

 「だからナミさんは……あーもうこれ以上は口が裂けても言いたくねぇ!!!」



サンジはそう叫んでガシガシと頭を掻き毟りながら、シンクへと向かい乱暴に皿を洗い始めた。














ナミは昼食を摂らず、夕食も一人で女部屋に持ち込んで食べた。
結局あれ以来ゾロと口を聞くどころか顔すら合わせなかった。

他のクルーたち、特にサンジは慰めようしたが、
ナミから漂う『その話に触れるな』という気配を感じて、話題に出すことを止めた。



夕食のトレイを持ってナミは誰も居ないキッチンに入った。
こんな精神状態でも腹は減るらしく、サンジの用意してくれた夕食はペロリと平らげていた。

トレイから皿やコップをシンクに移し、蛇口を捻ってスポンジを泡立てる。
そのままにしてくれていいとサンジは言っていたが、自分の我侭で別部屋で食事を摂ったのだから、
ナミは使った皿は全部洗ってタオルで拭いた。

それぞれ元にあった場所に戻し軽く手を洗ってから、小さく溜息をつく。


夕刻のキッチンでのゾロの言葉。
それを思い出して、ぎゅうと胸が痛くなった。

何とも思わないと、あの男ははっきりと言った。
自分とキスしたことなど、何とも思わないと。

寝ぼけていたのだ。
それは確かなこと。

別にゾロのことなんか好きでもないし、ゾロだって自分に対して特別な感情を抱いているということはないだろう。

ただの、他と何も変わらない同じ船の仲間。


それなのに、ゾロのあの言葉を聞いて物凄く腹が立った。
そして同じくらい悔しくて、哀しくて、泣けてきた。


好きでもない相手にキスされて、自分だけが動揺している。

好きでもない、相手。



また泣きそうになってしまったので、ナミはごしごしと腕で目元をこすった。








 「………おい」



突然背後から声が聞こえて、ナミは驚いて振り返った。
キッチンの入り口の壁によりかかり腕を組んだゾロは、不機嫌そうな顔でそこに居た。



 「……何よ」

 「何怒ってんだ」



そう尋ねるゾロの方がよっぽど不機嫌な顔をしていて、ナミは負けじと睨むだけで返事をしなかった。



 「昼間のことなら、謝る」

 「…どうせ覚えてないんでしょ」

 「……まぁな」



その答えにまたナミはカっとなり、大股で歩いてゾロの横を通り過ぎようとした。
だが腕を掴まれ引き止められる。



 「離して」

 「答えろ」



ゾロはナミの腕をグイと引き、その体を壁に押し付けた。
ナミを挟んで両手を壁につき逃げ場を無くし、ゾロは真正面からナミの瞳を捕らえる。



 「離してよ!!!」

 「何を怒ってる?」

 「だから、そんなの…!!」

 「キスしたことだけじゃねぇだろ」

 「なに……」



逃げることのできないナミは、首だけは動かしてゾロの視線からそらそうとしていた。
だがゾロは手でナミの顎を乱暴に捉え、まっすぐ自分に向かせる。




 「何で泣いた」

 「…っっ」




事の張本人がそれを聞くのかと、ナミはまた眉間に皺を寄せてキッとゾロを睨む。


ムカつく。
ムカつく。

自分一人冷静で、キスしたことにもカケラも動じず、ぬけぬけとこうして涙の理由を聞いてくる。

ナミ自身ですら、何故涙が出るのか分からないというのに。


頭の中がぐしゃぐしゃになって、またナミの瞳に涙が溢れてくる。



 「……あんたが!」

 「おれが」

 「あんたが、全然」

 「全然、どうした」



途切れ途切れに発するナミの言葉を、ゾロは相変わらずまっすぐな視線と共に聞いていた。
涙で潤んだ目でそれを見つめ返しながら、ナミはボソリと呟いた。



 「全然、気にしてないから」

 「………」

 「私がこんなに、こんなに」



ナミは自分が何を言いたいのか、何を言おうとしているのか、何を言っているのかさえ分からなかった。
勝手に言葉が口をついて出る。
それを止めることはできなかった。



 「それなのに、あんたは平気な顔で、覚えてもないし」

 「………」

 「あんたにとっては何でもないことでも」




あぁそうか。


支離滅裂な言葉を発しながら、ナミは唐突に自覚した。





私、ゾロが好きなんだ。





その瞬間、溜まっていた涙がボロボロと零れ出す。
いったんあふれ出したものは止めることができず、ナミは嗚咽を漏らしながら俯いた。

ゾロは先程からずっと無言だった。
ナミを見つめたままで身じろぎ一つしない。

だがやがて、顎に添えられていた手が優しいものに変わり、
ナミは再び上を向かされた。
流れる涙が顎を伝い、ゾロの手にポタリと落ちる。



 「ゾ――――」









唇が離れ、ナミは呆然とゾロを見つめた。
驚きのあまり涙は止まっていた。

至近距離で見つめ、ゾロは固まっているナミを抱き締めた。
その白い首筋に顔を埋める。
細い腰や背中に手をまわすと、ビクリとその体が強張るのを感じた。

昼間よりもさらに近いこの距離に、ナミは徐々に顔を赤くしていく。
ドクドクドクと、自分の脈が早くなるのを感じる。
そして気付いた。
触れているところから感じるゾロの鼓動も、自分と同じかそれ以上に早いことに。



 「…今度のはちゃんと、覚えてる」

 「……ゾロ」

 「だから泣くな」



耳元で聞こえる声に、固まっていたナミはやがてゾロの背中に腕を回した。





 「………夢だと思ってたんだがなぁ」

 「え?」

 「何でもない」



ゾロの顔が耳まで赤いことには、ナミは気付かなかった。




2007/07/15 UP

『ナミとゾロの初めてのキス話』
ナミの涙付き…とのこと。
何か展開にムリがあるけど、気にするな!

琴乃さん、これでごまかされてやってくれ(笑)。

生誕'07/NOVEL/海賊TOP

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