永。







 『月って、好きよ』



女は言った。
太陽の光を受け白く輝いているそのほしを、眩しそうに見上げる。



 『月を見てると、永遠にそこにあるみたいに思えない?』


 『永遠なんて、ありえないのに』




そう言って女は寂しそうに笑った。

男はそれに静かな笑顔を返す。



男にとっては、女の存在そのものが永遠だった。



















宇宙に存在する数多の惑星のうち、最も美しいと言われるのは地球だった。

漆黒の闇に青く浮かぶそのほしには、他のどのほしよりも多くの生物が存在し、
当時では最も発達した文明を持っていた。

金星・火星に存在した生命体もそれぞれの進化を遂げ、地球に劣らぬ文化を展開していたが、
それでも地球は彼らの憧れのほしであった。



その地球が崩壊したのは、今から約800年前である。
発展しすぎた文明は結果として己の首を締めることとなり、地球の生命体の大半は絶滅した。
最早それは青いほしではなくなり、ただの岩石の塊となって太陽に捕らわれるのみのものとなった。

かろうじて生き延びた一部の人類と生物は月へと移住し、
失われたそれを最初からやり直すかように、彼らは再び文明を築いていった。




そうして現在、
かつて地球がその対象であった金星・火星人の憧れは、月へと向けられている。





金星人・火星人は好戦的な種族だった。
青いほしを見つめながら、彼らは各々いかにしてそれを侵略するかを考えていた。
地球が崩壊したのちも、憧れを忘れることのできなかった彼らの祖先はその性分を変えることはなく、
両者の戦闘能力は他の銀河系の惑星と比べても群を抜くものであった。

そして月がかつての地球のごとき輝きを放ち始めたころ、
彼らの標的はすぐさまそこに向けられた。


地球人もかつては強大な軍事力を誇っていた。
だが己の過ちゆえに結果として類稀な美しきものを壊してしまった彼らは、
死に体で月に移住し新たな生活を始めた際に、それを放棄した。
自衛のみを目的とする軍隊を持ってはいるが、少なくとも今現在の彼らは戦うことを良しとしていない。
金星・火星から時折寄越される攻撃を自衛軍はかろうじて跳ね除けていたが、既に限界に近づいていた。

金星・火星の陣営はそのチャンスを逃すことはなかった。
惑星間で協定を結び、一気に月を落とす計画を目論んだのだ。





金星における月侵略計画のリーダーである男は、常に黒いマントを羽織りフードで顔を隠していた。
その男の持つ圧倒的な強さにより、金星の軍事力は宇宙一と言われる程になっている。
金星は科学の面でも発達しており、日々開発されている最新鋭の軍事機器は、
他の惑星との貿易においてかなりのシェアを占めている。
だがその男の好む武器は、古き地球で使われていた刀だった。
使い込まれたその刀で斬れぬものは無いと言われ、
事実彼はその刀一本で、金星軍のトップに上り詰めたのだ。

彼については知られざる部分が多く、本名はおろか年齢さえ不明であった。
まだ20にも満たないと言う者もあれば、曽祖父の時代から彼は変わらぬ姿でそこに居たと言う者もいる。
真実は定かではなく、ただ一つ言えるのは彼が金星最強の剣士であるということだけだった。

その怖ろしいまでの強さと素性の怪しさから、いつしか彼は暗黒剣士と呼ばれるようになっていた。















  『なぁナミ、お前チーム抜けるって本気か?』

  『えぇ』



デスクの整理をしている女へ向かって、部屋へ入るやいなや男は声をかけた。
女はチラリと顔を向けただけで、すぐにまた目を落とし手を動かす。



  『自分たちのほしを壊しておいて、不死の研究なんて馬鹿らしいと思って』

  『今さら……、それがチームリーダーのセリフかよ』



男はドアの横の壁によりかかり、苦笑した。
腕を組み、黙々とデスクの上を片付けている女の姿を見つめる。



  『お前が抜けるってんで、下は混乱してる』

  『私一人抜ける程度でおかしくなるチームに育てた覚えは無いわ。 それにあんたは残るんでしょ?』

  『……お前、これからどうすんだ』



何枚ものディスクや私物の詰まったトランクの蓋をバタンと閉じた女は、顔を上げ男をまっすぐ見つめた。



  『実家に戻って、“その時”が来るまで……のんびり蜜柑でも作っとこうかな』

  『……まさかお前、月への移住を蹴ったのか?』

  『うん』



あっさりとした女の返事に、男は眉を寄せる。
ズカズカと音を立ててデスクに近づき、女の腕を乱暴に掴む。



  『何考えてんだよ、ここはもう――』

  『どうせ私の体は月じゃ持たないわ、適合してないもの』

  『実際に行ってみなきゃ分かんねぇだろ』

  『体質なんだから仕方ないわよ。 変化してないお年寄りたちもほとんど残るんだし。
   月への移住を望んでても、許されるのはほんの一部よ。
   なら私が抜けて、枠を一つでも広げてあげたほうがいいわ』



そう言いながら男の手をゆっくりとほどき、女は微笑んだ。



  『ゾロ、あんたの体は月でもどこでも大丈夫でしょ』

  『どこでもは言い過ぎだが…、まぁそのせいであのチームに居るんだからな』

  『だからあんたは月に行って』



女は変わらぬ美しい笑みで、あっさりと別れの言葉を口にした。
何も言葉を返せず突っ立ったままの男に構わず、呑気に笑いながら続ける。



  『それにね、地球でしか蜜柑は食べられないもの』

  『…何だよそれ』

  『あんた、私の蜜柑好きを知らないとは言わせないわよ!』



クスクスと笑う女を見て、男も思わず頬を緩めた。
それから腕を伸ばして女を抱き寄せる。
女も素直にそれを受け入れ、目の前の広い胸に顔を寄せた。



  『ねぇゾロ』

  『何だ』

  『あんたのこと、好き』

  『………』

  『地球が滅びたりしなければ……ずっと一緒にいられたのにね』

  『……だから、月に』



顔を上げた女は、デスクの背後の大きな窓に目をやる。
男も釣られて視線を移すと、そこには怖ろしいほどに大きな、銀色に輝く丸い月が浮かんでいた。




  『月って、好きよ』


  『地球から見上げる月が好き』


  『ずっとずっと昔からこのほしに寄り添って、支えて、守ってくれてた』


  『だから、本当は月が地球みたいになるのは嫌なの』


  『だってそうしたらいつか滅びてしまうから』




女は小さくそう呟いて、また男の胸に顔を埋めた。



  『でも地球も好きなんだろ』

  『えぇ好きよ。 だから残るの。 私たちのせいで滅んでしまうんだもの』

  『なら、おれも残る』



駄々っ子のような言い方に女は思わず笑った。
それが気に入らなかったのか、男はムっとした顔で女を睨む。



  『ダメよ』

  『何で』

  『だってあんたは、地球が滅びてもきっと生き延びてしまうから』

  『………』



女は腕を伸ばし、両手で男の頬を優しく包んだ。
まっすぐな男の眼に、同じようにまっすぐな視線を返す。




  『あんたを独りにはしたくないの』


  『みんなと月に行って』



それから聖母のように微笑んで、背を伸ばして男の額にキスをした。
男は目を閉じ、さらにきつく女を抱く。



  『……お前が居ないんなら、独りと同じだ』

  『………ごめんね』




   もうすぐ此処は終わってしまう。

   永遠なんてこの世には無い。

   だけど、あんたのことは

   あんたを好きだってことは、きっと永遠。




















久しぶりに夢を見た。

遠い遠い、気が果てるような遠い過去の記憶。



男は寝台から体を起こし、黒のマントを羽織って個室から出た。

金星の代表として火星の船に乗り込んでいるその男は、フードを被り操舵室に足を向けた。






 「よぉ暗黒剣士さん、お早いお目覚めで」



今回の同盟における火星の代表である金髪の男は、壁一面の窓から目を離し男に向けて笑顔を見せた。
男は何も返さず火星人の隣に並び、同じように窓の外を見る。



 「これで月は落ちるな」

 「………」

 「…なぁ剣士さんよぉ、ちょっと聞きたいことがあるんだが」

 「何だ」



男は火星人に顔を向けることもなく、素っ気無く答えた。
火星人はそれを気にするでもなく続ける。



 「あんたは何でそんなに月に執着する?」

 「……どういう意味だ。 それはそっちも同じだろう」

 「金星全体の意向というより、あんた個人の意志のが強い気がするんだが」



男はゆっくりと首を動かし、ニヤリと笑う火星人をじっと見つめた。

無言のままの男に対して肩をすくめた火星人は、男から視線を外す。



 「………蜜柑が、食いたくてな」

 「……みかん?」



ようやく男はボソリと呟いて、また船外に視線を移す。



 「知ってるぞ、地球の食いもんだろ? 本で読んだ」

 「あぁ」

 「今の月は大分地球の環境に近いが…みかんも食えるのか?」

 「知らん」



その回答に火星人は目を丸くして男を見て、ケラケラと笑った。



 「変わったヤツだな、暗黒剣士ってのは」




男は返事をせずに、じっと窓の外、広い宇宙空間を見つめる。

船の正面には、丸い月が浮かんでいた。







かつての地球に近づきつつある豊かな月も、いつかは滅びるだろう。
金星や火星も例外ではない。
全ては、いつか壊れて消えてしまう。

男は手を伸ばして、冷たい窓にそっと触れた。



この命も、決して永遠のものなどではなく、
ただ他と比べて果てなく長いというだけだ。


気が遠くなるような長い長い時が経った今でも、女をどこかで感じている。
単なる気の迷いか、
それともいまだ果ての知られていないこの広大な宇宙のどこかに、
あの女が存在しているとでも考えているのだろうか。



女が好きだと呟いた月は、かつての地球の文明に追いつこうとしている。
地球と同じ進化を辿り、地球と同じ滅亡への道を歩こうとしている。



愛した女が、そのほしを好きだと言った。
愛した女が、そのほしが滅びるのを憂いた。


だから守るのだ。


それ以外に理由が必要だろうか?






女の姿を重ねながら、男はガラス越しにその美しい月に触れた。






こむぎサマの金星暗黒剣士企画『Simulate:BLACK』様に投稿させていただきました。
シリアス企画でしたので、がっつりシリアスです。
この後結局は月も壊れちゃうんだけどね!というのがオチです。
ほーら、イタイシリアス!
『YELLOW』を読んでない人に通じるかどうか…。

2007/04/23 UP

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