70707ゲッター、春サマへ愛をこめて。
董。
始まりはただの好奇心。
自分とは一回り近くも年の離れた男性と付き合うことへの興味。
大学卒業後、突然思い立って外国に留学した。
語学留学という名目だったが、実際はフラフラとした一人旅に近い。
1年と少し経って戻ってきて、帰国したその足で立ち寄ったアンティークショップで働くことになった。
30代後半の男がその店のオーナーで、スペースは小さかったが、
おそらくはオーナー自身のこだわりで集められたアンティーク家具や雑貨がキレイに並べられていた。
当時店にはそのオーナーしかおらず、私は自らバイトをしたいと願い出た。
人手を探していたらしい彼は二つ返事でそれを承諾してくれて、すぐ次の日から働く事になった。
その店に惹かれた理由は2つ。
ひとつは、留学先の空気を少しだけその店で感じられたから。
もうひとつは、オーナーであるロロノア・ゾロという人物に惹かれたから。
濃緑色の短髪で、スラリと背が高い。
若い頃は何かスポーツでもやっていたのだろう、細いながらも逞しい体つきだった。
接客業に相応しい愛想のある顔とは言えないが、女性客を掴むには充分と思える容姿だった。
アンティークショップとは言え、バカみたいに高い商品ばかりを置いてあるわけではなく、
オーナー自らが直接買い付けた外国の商品を手頃な値段でも置いてある。
店内が日々客で溢れかえるということはないにしても、店を続けていくには問題ない経営状況だ。
店にはオーナーと、私だけ。
静かなその空気の中で、私たちは同じ時間を過ごしてきた。
この関係が恋に変わるのは、別に不自然なことではないように思えた。
そう、この関係はとても自然なこと。
ただひとつ、彼に奥さんがいることを除けば。
「ねぇゾロ、次の日曜どっか行こうよ」
「あぁ?」
周りに薔薇の花を象った、小さめの鏡台の鏡を拭きながら背中を向けて声をかけた。
ゾロは店の隅に座ってファイルを広げていた。
かけていた眼鏡を外し、顔を上げて私を見る。
「…次の日曜?」
「うん、店もお休みだし、天気いいってさっきテレビで」
「あー…」
「…何か、用事あるの」
ゾロは眼鏡をテーブルに放り投げ、椅子の背にもたれた。
鏡を拭く手を止め、なかなか答えないゾロを振り返る。
この沈黙は嫌い。
ゾロと自分の間にある、高い壁を感じてしまうから。
「…食事に、行くことになってる」
「…そっか」
「でも昼間なら」
「やめてよ」
ゾロの言葉を遮って、私は笑った。
「昼間は愛人と会って、夜は奥さんと会うんだ?」
「……」
口端を上げて意地悪な声でそう言うと、ゾロは黙ってしまった。
私から顔を逸らし、眼鏡を手で弄びながら再びファイルに目を落とす。
困らせるつもりなんて、ないのよ。
ふっと笑って、傍まで近づく。
隣に立つと、ゾロは私の腰を抱き寄せた。
「悪ぃ」
「何で謝るの」
「……」
ゾロはどちらかというと口下手だ。
それでよく客商売が務まると、バイトを始めた当初は呆れたものだ。
「平日も、お店が空いてる休日も。 私ずっとゾロと居るのよ」
「…そうだな」
「たまには奥さんに貸してあげるわ」
「………」
私の言葉にゾロは苦笑した。
腹に当たるゾロの髪を撫でながら、私も自嘲する。
貸してあげる、ですって?
バカみたいね、私。
ゾロと奥さんは今は別居している。
普通のサラリーマンだったゾロが、突然会社を辞めてこの店を始めたあたりから、
夫婦仲は良いものではなくなっていたらしい。
それでもお互い離婚する気はないのか、時折は一緒に食事に出かけたりしている。
奥さんが、私とゾロの関係を知っているのかは分からない。
ゾロに離婚する気があるのかは分からない。
ゾロが私とのことをどう考えているのか、分からない。
こうやって不安になって、一人でグルグルと考えることがある。
ゾロとこんな関係になった最初の頃は、ただの興味だけだったのに。
いつの間にかのめりこんで、いつの間にか本気になって。
今の私は、奥さんよりもずっと長い間ゾロといる。
奥さんの知らないゾロを、きっと私は知っている。
奥さんよりも、ずっとゾロのことが好きだという自信もある。
だけど、まわりが認めるゾロの相手は私ではなく、妻であるその人なのだ。
じゃあ私は一体、ゾロの何なんだろう。
私を抱きしめてくれるゾロの手は優しいし、
私に触れてくれるゾロの手は暖かい。
だけど決して周りから認められることのないこの関係が、時々無性に哀しくなる。
「邪魔するわね」
カラン、と軽い音がして扉が開いた。
いらっしゃいませと声をかけようとして、思わず固まる。
ふわりとした黒髪に、くっきりとした目鼻立ち。
私も背は低い方ではないのに、それでも大分見上げてしまう。
モデルのような容貌のその女性は、くいと顎を上げてまっすぐに店の中に入ってきた。
自分という人間に絶対の自信を持っている、そんな人だった。
目が合うと彼女は軽く笑って、奥へと勝手に進んでいく。
止めることはできなかった。
ここがゾロの店であるなら、それはつまり彼女の店という意味でもあるのだ。
「…アルビダ」
「ごめんなさいね、店にまで来て」
「いや」
声に気付いて奥から顔を出したゾロは、一瞬目を丸くして何とか声を出した。
ゾロの妻であるアルビダというその女性は、ゆっくりと首を動かして店内を見渡した。
「素敵な店じゃない」
「今頃気付いたか?」
アルビダはフッと笑って、バッグから小さな封筒を取り出した。
差し出されたそれをゾロは無言で受け取る。
中身を知っているのか確認することもなく、手元のテーブルの上に置いた。
「じゃあ、数日中によろしくね」
「あぁ」
アルビダの美しい笑顔がまるで場違いであるかのように、ゾロは顔を背けて答えた。
バッグを持ち直し、アルビダはくるりと向きを変えてゾロの前から離れていく。
その動きをじっと見ていた私に気付いて、再び彼女は微笑んできた。
「貴女、ね?」
「…え……」
何を聞かれたのかは分かる。
だが、何も答えられなかった。
彼女は私を値踏みするようにじっと見つめ、それからまた微笑んで出て行った。
その笑顔は、さっきまでのものとは違った。
蔑み?
怒り?
恨み?
…嫉妬?
どれにせよ、彼女は私とゾロとの事を知っていたのだ。
アルビダが出て行ってしばらくしてから、私はようやくゾロの方を向いた。
ゾロは封筒の中身を取り出して広げていた。
「ゾロ…それ、何?」
「……ナミ」
「……」
「明日から、この店閉める」
「……え」
突然の言葉に呆然としている私に、近づいてきたゾロは封筒に入っていた紙のうち1枚を差し出してきた。
ゆっくりと腕を上げてそれを受け取る。
それが何なのか、何となくは気付いていた。
離婚届と書かれたその紙には、既に『妻』が書くべき欄は埋められていた。
「ゾロ」
「しばらく前から、話し合ってたんだ」
「………」
その紙を震える手で畳みなおして、ゾロに返す。
受け取ったゾロはそれを見下ろしながら呟いた。
「この店と土地はあいつにやる」
「……」
「商品は邪魔になるからいらねぇだとさ」
ゾロは苦笑しながら、封筒と紙を商品である鏡台の上に置く。
ゾロの言葉がはっきり聞こえない。
どう答えていいか分からない。
「2,3日中にはこいつら運び出す」
「……私のせい」
「…あ?」
小さく呟くと、ゾロは片眉を上げて顔を近づけてくる。
「私と不倫したから、このお店取られちゃったの」
「お前は関係無ぇよ」
「この店はゾロの夢なのに、私と浮気なんかしちゃったから」
「ナミ」
見苦しいとは思っても、涙が止められない。
ゾロが手を伸ばして私を抱き寄せてくれたので、胸に顔を押し付けて声を殺した。
「離婚するときってのはこんなモンだろ」
「でも、この店は」
「それに、お前とのことは浮気だとは思っちゃいねぇよ」
「…でも」
「でもでも五月蝿ぇなぁ」
「………そんな言い方しなくたっていいじゃない!」
「お前はそういう態度のが似合ってるよ」
思わず体から離れて叫んだらゾロは楽しそうに笑った。
ごしごしと目をこすって、呑気な顔のゾロを見つめる。
「……これから、どーすんの」
「そうだな…、どっか他の国行くか」
「へ?」
その返事に、思わず裏返った声を出してしまった。
ゾロは構わず背中を伸ばしながら続けた。
「ここでまた土地探すのも面倒くせぇし」
「ここでって、そんなの外国行ったって同じじゃない。 むしろ――」
「アテが無いわけでもない」
唖然としていると、ゾロはボリボリと顎を掻きながら顔を向けた。
「買い付けで色々回ってるときそれなりにコネ作ってるし、土地買ってるトコもあるからな」
「……はい?」
「とりあえず、全部の商品持ってくわけにゃいかねぇから…選んで売るか。 あと株もいくつか売って…」
「ちょちょ、ちょっと待ってよ」
「ん?」
ゾロの言葉の意味が理解できず、思わず待ったをかける。
きょとんとしたゾロの顔をじっと見つめて、呼吸を整えた。
「土地とか株とか、何それ?」
「あ? 何って」
「慰謝料で一文無しになったんだと思ってたんだけど」
「慰謝料は別にいらねぇってさ。 ただこの場所は、今度あいつも自分の店出したいから寄越せってことで」
「いらないって…」
「あいつンとこは元々金持ちだからな」
まぁ旦那にこんな道楽っぽい仕事をさせて生活できてたんだから、
それなりにお金は持っているのだとは思っていた。
先程のアルビダの身なりも、いわゆるセレブな服装だった。
とは言え。
「奥さんの実家はお金持ちでも、ゾロは別に」
「おれは見る目があるからなぁ」
封筒を置いた鏡台を、ゾロはコンコンと指で叩く。
ニヤリと笑うその顔は、私が好きないつものゾロの顔だった。
「まぁ色々やって、金は持ってるんだぜ? 株の才能もあるらしいしな」
「…普通自分で言う、そういうの?」
「何だよ、無一文の方がよかったのか」
「………」
呆れて何も言えなくなってしまった。
不倫の果てに修羅場になると思ってた。
バレたら離婚だ慰謝料だともめると思ってた。
奥さんとヨリを戻して、いつか捨てられるんじゃないかと思ってた。
奥さんが現れて、この土地と店が彼女の手に渡ると聞かされて。
ゾロの人生を滅茶苦茶にしてしまったと思ってた。
ゾロの夢だったこの店も何もかも奪ってしまったと思ってた。
数分前までの私の苦悩は何だったの?
「…外国で、また店を?」
「そのつもりだ。 この店にも愛着はあるが…ま、仕方ねぇだろ」
「……一人で?」
「…何言ってんだよお前、来ないつもりか?」
考えてもいなかった、というような顔をゾロがしたので、思わず笑ってしまった。
「ついてくよ」
「おぅ」
また近づいてゾロの胸にしがみつく。
頭を撫でられながら、先程のアルビダの笑顔を思い出す。
彼女は、まだゾロのことを愛しているのだろうか。
どうして離婚に応じたのか。
何故私を見て何も言ってこなかったのか。
もうゾロを愛していないから、だとは思えなかった。
私を見る視線には、確かに嫉妬の色が混じっていたのだから。
いくら考えても彼女の気持ちなど分からない。
私が今分かるのは、
ゾロが奥さんと離婚して、この店は無くなって、ゾロは外国に行くつもりだということだけ。
あと、もうひとつ。
私がゾロを愛しているということ。
「ねぇゾロ」
「ん」
「私はね、ゾロがもし」
「おう」
目を閉じてさらにぎゅっとしがみつく。
「ゾロが無一文になったとしても、愛してるよ」
「……おう」
私はゾロを愛している。
それは確固たる事実で。
きっと永遠に変わらない、少なくとも今はそう言い切る自信がある。
そしてゾロも、私を愛してくれている。
頬を寄せた胸から伝わる温もりに、私は確かにそれを感じることができた。
2007/01/21 UP
70707キリリク。
ゲッターは春サマでした。
『禁断の愛で逢引するゾロナミ、最後は公認されてラブラブ』
……き、禁断の愛…かなぁ?
公認されたかなぁ?
おやおや…?
そんな感じの引け腰で、春さんに捧げます!
返品の際は所定の用紙にその旨ご記入ください(笑)。
【董】の意味は、
【1.全体をまとめおさめる、ただす。 2.『骨董』は珍蔵する古い道具類】
……微妙に合ってないなぁ……しまった。
こだわりたいのは職業じゃなかったのに(笑)。
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